②.「機械論的世界観という陥穽」(人類傲慢)

(1)機械論的世界観とは

“機械論的世界観”とは、「原因と結果の連鎖によって世界は動いている」と考えるもので、そこでは恰も時計の動きのように世界の動きを機械的にとらえる。時に偶発的な自然現象までも人間が管理しているような行き過ぎを起こす。このような世界観は過ぎ去った歴史を学び整理する時には結構だがこれからの世界を予測したり動かすときには機械論的世界観に頼ると知らずのうちに人間が機械に支配されている世界に陥るものである。なぜなら世界を動かして暮らすのは人間そのもので、機械は利便性や効率性だけを追求して所詮その人間が作ったモノだからである。人類は機械(兵器・IT技術・AI・バーチャル世界…)にコントロールされた社会を便利・快適・効率的…な社会に進歩していると感じて暮らしているが、その実態はと言えば“多様が内発する生命体の一つである我々人類”にとっては逆に不自由さを感じる一面が多々現れてくる。チャプリンの「モダンタイムズ」ではないが、人間が機械の歯車の一部として一律的に取り扱われる中で孤独感さえあじわう結果になることが多い。その落し穴にハマった中で自分の利益を追求し続ければ容易に自分の意に沿わない相手を排除するという“戦争習慣”を生み出す。「多様性に満ちた人間世界の在り方は機械論で一律的に語れない」のである。

今から400年余り前の17世紀に活躍した錚々たる分野の専門家たちにも(彼らの人間社会の進歩に貢献し産業革命に繋がる功績を十分に理解するが)既に機械論的世界観の萌芽が見える。(生命誌研究者の中村桂子女史の講演より)

哲学者のベーコンが「自然の操作的支配」

同デカルトも「機械論的非人間化」

天文学者ガリレイも「自然は数学で書かれた書物」

科学者ニュートンまでも「量子論的機械論」で世界の動きを捉えようとした。

何れも当時の大専門家たちは「人類が自然に対して優位性を持って世界が動いている」と考えるようになった。そして凡そ400年後のロシア軍の非人道的行為もこの機械論的世界観に染まった大統領によって齎されたものと定義してよさそうだ。しかも彼は核を翳した旧KGB上がりのフェークニ満ちた専制主義的政治屋として国際社会を大混乱に陥れた。人間を戦争の駒として扱う彼の機械論的世界観で行けば、「2月24日に軍事訓練をウクライナ侵攻と化してキーウを10日間で陥落させ5月7日の独ソ戦勝記念日にはウクライナ戦勝利を祝ってその後約半年間でウクライナ全土を奪還する」という計画を描いていた。しかし現実は残念ながら自らが描く機械論的世界観通りには動いていない。

(2)「生物学的世界論」とは

機械論的世界観に対置する世界観として『生物学的世界観』がある。これは世界を機械の正反対の“生物(生命体)”になぞらえて考える物の見方である。人間は自然の一部の生き物であることを考え方の根底に置く。たとえAIとて予測ができない“偶有性”(多様の内発)を内包している人間の存在を最優先する考え方である。元々人間の身体は自分の意志で管理できない自然である。人間にとって一番身近な自然はまさに自分なのである。しかも一人一人が異なるDNAを持った誰一人として同じでないゆえに貴重且つ尊厳に満ちた自然であるから国際人権保護法を作ってお互いに人権を傷つける行為(殺人や戦争)を厳しく規制している。時に人類は自然の摂理(地震・ウイルス由来感染症など)による被害者になることを覚悟して暮らすしかないのである。もしプーチンが「生物学的世界観」を少しでも持ち合わせていたら、即ちヒトが予測不能且つ偶有性に満ちた世界に一つの貴重な生物学的存在であることを理解していればウクライナに軍事侵攻を企てることはできなかったはずである。

筆者は世界中が挙って“ウクライナへの軍事侵攻はプーチンの戦略ミス”と抽象的に指摘する最大の理由は、彼が“機械論的世界観”しか持ち合わせていなかったただのKGBスパイ上りの大統領だったからだと推察する。つまり戦争は“機械論的世界観”をベースにした人間による人災である。機械的という言葉で代表される世界観は非有機生物工学・IT技術・AI・金融資本主義…等の一律的進歩で世界を動かそうとする。生命倫理に反したバイオ技術や核開発技術を兵器に転用する行為は生物学的世界観の下では絶対に許されるものではない。

筆者は、先ず人間を生命体と捉えてさらには“多様性を内発する存在”であることに刮目する『生物学的世界観』に従って世界の動きを考えるのが21世紀の人類の在り方のヒントのようだ。なぜならば「我々一人一人の身体が70億分の一の“自然”という存在だからである」。人類が機械論的世界観の利便性や効率性に抗うことなく一律的に流され続けていることが21世紀の大きな落とし穴として強い危機感を禁じ得ない昨今である。