(1)はじめに
前項②で述べた「機械論的世界観」と「生物学的世界観」に関してもう少し思索を加えたい。というのは、二つの世界観は“人間の自然観”の部分で大きく異なり真逆のスタンスを取る。つまり人類が脳で考えたことを具体的な形にしたものが“都市”であり“自然”を排除する形式をとる。別言すれば自然とは、「脳で考えたものを具体的に形にしたもの以外」のものと定義できる。人間が意識的につくっていないものが自然であるならば、我々自身の身体も自然である。ところが科学の進歩が花開く17世紀に哲学/思想家のベーコンでさえ、「自然の操作的支配」と口にしたように、当時の機械論的世界観では「人類が科学の進歩で自然をコントロールできる」とさえ考えていたことがうかがえる。つまり人間が科学の進歩で自然を解明/支配できると考えて、自然に対してある種の優位性を持って自然現象に対峙していたに違いない。でも冷静に思索をし直せば、これは人類の自然に対する一種の“自惚れ”(英語でbig-headedという)と言っても過言ではなかろう。
現実に科学技術の進歩は約100年後の18世紀後半~19世紀にかけて“産業革命時代”の原動力となったのである。そして産業革命は先進国に多大な経済的繁栄をもたらした。とりわけ産業革命を先導したイギリスはビクトリア女王在位中(1837~1901)にインドはじめ世界各地を植民地化して大英帝国の繁栄をゆるぎないものにした。つまり「17C科学技術の進歩~18C産業革命・経済的繁栄~19C植民地統治」という流れで主にヨーロッパ人による自然の操作的支配(=都市化)は世界中で効率的に具現化されていったのである。産業革命が先行した国々は激しい戦争という手段を取らずともアジアやアフリカの国土と国民を管理下に置くことが出来た。この400年間日本の江戸時代にあたる。鎖国政策を徹底すると同時に産業革命の恩恵は得られなかったが、日本固有の伝統文化(自然に親しむ文化)が栄えて国民は争いのない太平の時代を満喫することできた。
(2)急激な経済重視偏重の弊害(20世紀後半の中国)
20世紀に世界の工場としての金儲け(GDPの急拡大)のためには工場生産施設の拡大等で自然とのあるべき距離を急激に詰めていった国が第2次世界大戦(日米太平洋戦争)終戦後の中国である。その結果が2001年のSARS、2019年のCOVID19(コロナ)という2つのウイルス由来感染症が中国から世界中に広まった。経済優先主義(世界の工場化)の前に適切な自然とのSocial Distanceを取れなかった国の事情もあっただろう。つまり自然に対する人間の一方的侵攻が無制限に広がっていったのである。このほかにも20世紀には先述した二つの大きな戦争やナチによるユダヤ人の迫害等は人間は自分の意識世界で思うようにならないものは削除していく。英語で自惚れを“big-headed”という所謂“頭でっかち”な人類の萌芽は17世紀に始まったことは前項で述べた。17世紀の彼らは当時の科学技術の進歩に貢献してやがて産業革命という一大革命を成し遂げるのである。そして凡そ400年後の現代にも、数多の“big-header”(頭でっかちの自惚れ屋)は人間も含む自然に対して大いなる自惚れをもって行動していることがわかる。人災戦争を代表とする彼らの行動が世界中に大混乱をもたらした。「機械論的世界観」と対置して語られる「生物学的世界観」からは自然をリスペクトする謙虚な姿勢を強く感じる。つまり我々現生人類ホモサピエンスの一番身近な自然が自分自身の身体であることの認識に始まって、人間の身体とは偶有性が宿っている貴重な自然としての存在を改めて感じる。筆者は、自然も自分の身体も自らが随意にコントールできる意識世界に属さないことを改めて理解することから始まる。現代に生きる我々ホモサピエンスが機械論的世界観の一律的な利便性や効率性に日常的に益々慣れ切って暮らしていくことに大いなる危機感を覚えるのである。そのような折今から30年ほど前に脳科学者・思想家の養老孟子氏が「唯脳論」を著し、「バカの壁」はじめ最近の著書群を読み直して「人間と自然」に関して筆者が気付いたことが多々ある。(④で詳細)
先ず「脳化社会」に関して養老はこう述べる。『動物は“感覚世界”が優先するのに対して、人間は大脳が作業する“意識世界”が優先する。それによって生じるのが「意識的世界」でそれは「ああすればこうなる」と計算や理論で予測可能な社会を作り上げようとする。その際予測やコントロールできない人間社会に存在する偶有性(人間の身体や自然現象)は排除しながら出来上がったものが『脳化社会』である。その具体的なものとして“都市”を挙げている。
旧ソ連崩壊後のロシア大統領が、ウクライナをああすればこうなるという「行き過ぎた脳化世界」を自分の頭の中に描いて2/24の軍事侵攻を企てたのがウクライナ戦争である。所謂「行き過ぎた脳化社会」の所産の一つがウクライナ戦争で世界を大混乱に巻き込んだ。そしてホモサピエンスの永い歴史に視点を移せば、我々現生人類ホモサピエンスは、脳化社会がじわじわと侵入(=浸潤)してきたことを人類の進歩と考えてきたことに気付かされるのである。