日本のコロナ対応は、マスコミが連日伝える感染者数(正確には無症状者を含むPCR検査陽性者数)の増減に一喜一憂して2年以上自粛を繰り返しているが、感染・重症化を防ぐ鍵である日本人固有の免役・抗体に関しては殆ど話題にさえならないのが現状である。また年代別コロナ死亡者数の情報に関しても、持病持ち高齢者に集中している話は当然のこととしても、3年間の病死カーブに約25,000名余が上乗せされた状態であることや、例年の(同じウイルス由来の)インフルエンザ病死者数との関連で、COVID-19・SARS-CoV-2の病理特性(=ウイルス毒性)が語られることは殆どないまま2年4か月が経過した。
一方で札医大コロナ死亡者情報サイトがあって、そこの各国別の人口100万人当たりのコロナ死亡者数データ(日本は欧米諸国の1/16)が国民に公開されないまま、「第2類指定感染症・コロナ」という恐怖を煽り続ける仮想現実社会がいまなお続いている。国民を必要以上に感染を恐れさせては「感染予防と社会活動の両立策」はいつも遠のく2年間だった。つまり6回の感染者急増の波ごとに「局面対応的な危機管理」は為されたが、「国益重視の包括的なリスク管理」は為されなかったことが分かる。ここで言う国益とは、 国民の命はじめ社会/経済活動の総和Σである。
つまり札医大のデータが示す通り、元々日本人は固有のコロナ免役を保持しており、社会活動を通して免役を獲得できるチャンスに浴していたが、自粛することでその絶好の機会が逆に遠のいたのである。そればかりか逆に家庭内感染が増えて感染者数が高まったといえそうだ。
コロナ対応の鍵である免役強化(boosting immunity)するには、ワクチンのブースター接種と自然暴露との2通りある。ワクチンのブースター接種よりも「感染予防と社会活動の両立策」を通して一人一人が免役を強化する方が、安全性・有効性・効果の持続性等において遥かに優れていよう。要するに、情報公開の遅れと言い、効果のない自粛を続けた事と言い、「日本のコロナ禍には人災的要因が極めて大きい」と言うのが私の首長である。
また2年間の札医大のデータを時系列に並べてみて分かることは、自粛策と感染者数抑制とに何ら相関性がないことも分かる。むしろ感染の波ごとに致死率(死亡者数÷感染者数)が低減するという、所謂「集団免疫」の構築が順調に進んでいたといえよう。無論ブースター接種の効果も加わっていようが、人類が持ち得るコロナ対応の究極的最終手段である「集団免疫」は、『感染予防と社会活動の両立策』に裏付けられていることが容易に推測することができる。
当初から一度も本格的ロックダウンを施行しないで経済活動の落ち込みを極少化したスウェーデンは、2年後の今日EUで人口当たりコロナ死亡者数が一番少ない国の一つで所謂「コロナ対応勝利国」となった。幸いにも自然免疫に恵まれていた日本は2020年夏季ごろから「感染予防と社会活動の両立策」が実行できたはずである。世界でも有数の「コロナ・難感染国日本」が、今なお「マン防」に踊らされて国益(=国民の命はじめ社会活動のΣ総和)を損ない続けていることを肯んじえないでいる。
日本のコロナ対応に後からモノ申すのは簡単(第一話)だが、それでは将来志向の建設的議論や提言を生まないのは明らかである。
それにはウイルスの実態(ザイン.being)を先ず知ってから我々のあるべき行動(ゾルレン.should)を考えるに限る。その際のKey Wordが下記の2点である(詳しくは第二話に譲る)
● 『Acceptable Risk』:人類として受け止めなければならないRisk
● 『生態系』 :人類はウイルスと生態系(共存でも共生でもない)を組んでこの地球に存在し、お互いに持ちつ持たれつ(give and take)の関係にある
本項“コロナ”では以下の二話に分けて自論を展開したが、いずれも少々長くなって読みづらくなったことが想像に難くない。そこで冒頭に「第二話レジュメ」を後から書き足した。第二話全体を把握する上でご利用いただきたい。なお第一話は日本のコロナ対応の総括とその原因を自説として纏めてみた。二話ともに最終的には21世紀の人類の在り方までもを大胆に考える上でご参考になれば幸甚である。