『戦争を始めるのはいつも一人の金持ち政治家、そして苦しむのは大多数の貧乏国民』この名言は戦争当事国だけの話に留まらず国際社会全体に及ぶ。そもそもウクライナ戦争を歴史・地政学的観点から言えば、「兄貴のロシアが舎弟のウクライナへ仕掛けて、不凍港があるクリミア半島から親ロシア派住民が既住しているウクライナ東部に亘る“失地回復戦争”」と定義できる。また外交・経済的観点からは、「1991年ソ連崩壊後に独立した主権国家ウクライナを舞台にして、ロシアの一人のnationalist(=プーチン)が西側globalism(=NATO/EU)に仕掛けた戦争だ」ともいえる。要するに元秘密諜報員のプーチン脳が、「大ロシア・小ロシア(=ウクライナ)・白ロシア(=ベラルーシ)の東スラブ語族の再統一」という“仮想現実世界”を描いては武力に恃んで現実のものにしようと画策している戦争がウクライナ戦争なのだ。そして2/24に軍事侵攻を企て5/9の国典ロシア戦勝記念日に国民に向けて勝利宣言するはずだったが、5ヶ月経った今もプーチン脳による“仮想現実世界”(=ウクライナのロシア化)の実現は困難を極めている。しかしながら西側諸国に“ウクライナ支援疲れ”(戦争慣れ)の兆候が読み取れる中、プーチン・ロシアは確実に東部ドンバス地方を2014年のクリミア半島に似た“住民の濾過作戦”(=親ロシア派と言う人間だけを残して住まわせる作戦)によって実質支配下に置きつつある。このことはかってのナチスによる「ユダヤ人の虐殺と民族離散」と相似形の極めて悪質な戦争犯罪行為であることを忘れてはならない。そして今こそ喚起したいことは、我々現生人類のホモサピエンス(=賢い人間)は二つの対照的な賢さを併せ持っていることである。則ち「排他的な兵器を作る賢さと抱擁的な平和を維持する賢さ」である。両者のアンバランス状態時に戦争を起こし戦争慣れしていくホモサピエンス脳を冷静に見詰め直してみたい。ただし戦争慣れしていく中で兵器を作る米国の軍事産業が一人ほくそ笑む姿がある。筆者は軍事産業が蔓延る社会こそが“戦争慣れ”していく21世紀の大きな落とし穴だと考える。
戦争禍は、自然発生災害としてのコロナ禍とは根本的に違って、一人の政治家の「国土安全保障・経済的利権・政権維持」などに絡む飽くなき欲望を端緒とする人災であることを最初に指摘しておく。その結果がウクライナ総人口の約1/4にあたる1,000万人余の戦死者と避難民の悲劇を生んだのである。ウクライナが、(旧ソ連邦の一部という)歴史的にも、(黒海に面したクリミア半島があるという)地政学上からもウクライナが戦場と化す蓋然性が高い国であることは事実であるが、プーチンの所謂“失地回復戦争”は国際法違反でその仕掛け人プーチンの罪は免れ得ない。そして戦局が長引くにつれ世界中が“戦争の日常化”に慣れてしまっているように思えてならない。このようなホモサピエンスが陥っている大きな陥穽とは一体何だろう。養老孟子の「唯脳論」から戦争の本質について論じてみたい➡①.「唯脳論」からみた戦争の本質
総じて、人間が起こす戦争を通して我々現生人類のホモサピエンス(賢い人間)の真実を冷静に見直すことで、21世紀の人類が“戦争麻痺”した世界に陥らないことを願うばかりである。ヒトが起こした人災戦争を、同じ“ホモサピエンス”の我々に抑止できないはずはないと真剣に考える。“脳化世界”という養老孟子氏の言葉を借用すれば、行き過ぎた脳化社会(=都市化)が我々に戦争麻痺を起こしているように私は思う。都市の対語は“自然”である。元々ヒトは自然の中の生き物の一つであった。ヒトの歴史からホモサピエンス脳が陥っている“進歩”という代物が戦争を加速化していることに早く気付くべきである。養老孟子が30年ほど前に書いた「唯脳論」を21世紀に読み直してみて“人類と戦争”について改めて認識を改めるうえで大変参考になった。➡②.「脳化社会の自然の世界への浸潤」(都市化と言う魔物)
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