コロナ補説(2)リスク管理に観点から

何故日本はコロナ対応に失敗したのか?

はじめに(総括)

日本のコロナ対応が失敗の屋上屋を架して国中が混迷の極みに陥っている。

本稿は、3回目になる“緊急事態宣言+自粛”禍中の2021年5月末に書いているが、発生から1年半「コロナは怖い」という固定概念に囚われて日本中が思考停止に陥っている。

国民を混乱に陥れた原因としては、新型コロナウイルスSARS-CoV-2に起因するパンデミック感染症COVID-19そのものよりも、国のコロナ対応策“緊急事態宣言+自粛”の繰り返しによって、日本人の物(経済活動)・心(社会活動)両面にわたる生活基盤が大きく損なわれたこと(=自粛禍)の方が大きかったといえるのではないだろうか。

つまり国民の経済・社会活動の総和を国益として、コロナ感染とその影響を総括すれば、

『コロナ感染≪自粛禍≪全体国益の衰退』の不等号式が成り立つ。

自然の摂理であるコロナウイルス感染に対して、人類がロゴス(言葉・科学論理…)だけで対応しようとてしても及ばない、ロゴスと人間が持っている自然(=自分の身体)との中庸策で対処すべきである。自然界の摂理(生老病死…ウイルス感染)には、自分の身体(=世界に一つの自然)で対応することを、行き過ぎた“脳化社会”に暮らす我々ホモ・サピエンスはすっかり忘れ去っている。自粛禍も国益を損ねたのも“人災”である。

人災部分を極小化するには、自然の摂理とロゴスの中庸に限る。ただし“big head(人間の自惚れ)”という言葉があるように、人類が自然に対して自惚れて傲慢になっては全てがおしまいである。

私はまず「コロナは怖い」という固定概念を作りあげた原因が、政府が2020年1月に定めた「指定感染症第2類」(2020.)を1年半も塩漬け状態にしているお役所仕事にあるとする。➜「①.国益重視のリスク管理から観た日本のコロナ対応」

次に、コロナ対応の根幹をなす「緊急事態宣言+自粛の繰り返し策」が、終始一貫感染症学的アプローチに基づいて自粛禍を招いているとする➜「②.行き過ぎた脳化社会」

最後に日本のコロナ対応と周辺から感じたことを➜「③.コロナ禍にまつわる雑感」として3部構成で本稿を進めるが、詳述すると正直論文になりかねない。なるべく結論を簡述して詳細は別稿に譲ることにする。

.国益重視のリスク管理から観た日本のコロナ対応

(1).対処的危機管理とリスク管理の違い

マスコミが連日伝える、コロナ禍の原点のごとく言われている感染者数(正確にはPCR陽性者数)に一喜一憂して“緊急事態宣言+自粛”を繰り返すのは、目の前の現象に対処する単なる“危機管理”に過ぎない。ウイルスは変異しながらも永遠に存在するので目前対応の危機管理が今後も繰り返すことだろう。オリンピック開催の可否が問われる中にあっても政府はこの“対処的危機管理”を意図的に繰り返し・延長をしているが、自粛で感染拡大防止を図っても、PCR陽性者を感染者としている限り、その目的は達成できないことを断言する。人為的にPCR検査を増やして陽性者を感染者として一喜一憂したり、コロナ陽性者が亡くなられたら(老衰・ガン…死亡原因が明らかな方)全員が“コロナ死亡者”として医者が国に報告させられている限り、「国益を重視するリスク管理」は日本では浸透しないことになる。(コロナに限った)リスク管理の神髄は科学的根拠を持って重傷者・死亡者数を減らすことが第一である。

もっとコロナの実態を国民に説明していただきたい。そういう科学的根拠を示して発出される緊急事態宣言・自粛策には国民も納得して従うものである。もう専門家委員会の感染学専門学者やテレビ常連解説者率いる「コロナ怖い病連帯(コロナ脳者)」の説明は聴く気がしない。PCR検査を事前に行って恐怖を煽るのはいい加減止めるべきだ。

(例年のインフルエンザ同様に)風邪症状が顕在化して病医院を訪れた患者全員にPCR検査をそこで実施して、陽性者のみは指定感染症法に基づいて処隔離等の処置を施す、そして今後の治療方針を適切に判断して真のコロナ重症・死亡者数を減らすべきである。それが“国益を重視するリスク管理”のほんの一端である。

(2)リスク管理の基本原則と日本のコロナ対応

PCR陽性者数の増減に対処する“危機管理”と全く違って、将来リスクの発生を予測しながら予防的に行う所謂“国益重視リスク管理”を遂行するうえで、どうしても順守しなければならない基本原則が3点ある。今回の日本政府のコロナ対応を、この3つの基本原則と照合すれば、日本のコロナ対応が如何にウイルス無理解の上にある大失敗であるかがわかる。全部がこの3つの基本原則に反していて失敗に至っていることを以下説明する。

(2-1)リスク公平の原則

リスクの現実の大きさに対応したリスク管理を施すことである。リスクの大きさを時間の経過とも科学的に検証することなく、1年半の間終始一貫してCOVID-19を「第2類指定感染症」(2020.1.30.宣言)の怖い病気として取り扱い続けているのである。日本のコロナ対応をわかりやすく言えば、

『例年のインフルエンザ並みの風邪(=さざ波とは言わずボヤ火事に例える)を、100年に一度の怖い“第2類指定感染症”(=歴史的大火事)として国を挙げて対応している』状態である。

日本のCOVID-19は、2020年1/30以来常に“第2類指定感染症”であり続けなければならなかった。何故ならば、100年に一度の危機(安倍前首相・財務省主計局談)に備えたCOVID-19緊急経済対策は、総額117.1、財政支出48.4兆円の大型予算措置が講じられてスタートしたからである。一度立てた予算の実行は(死ぬかもしれない怖い病気だから)歯止めが利かない。各地のボヤ火事に対して政府は大火事用の“最新はしご車”や“緊急事態宣言”が稼働できるように予算整備されたのである。行政機関やコロナ対応関連事業は国家予算、それも財政支出(現ナマ)に応じて動くのは至極当然である。首長は国へ緩急事態宣言を積極的に要請した。形式は政府が専門部会に諮問・承認を得る形をとるが、私には両者の責任逃れのように映って仕方がない。

専門部会は、『COVID-19コロナは怖い病気でない、日本人固有の歴史的社会免疫・集団免疫と抗体でここまで十二分に対応できて日本は世界に類を見ない“コロナ・難感染国”である』とする免疫学者や真に科学的思考ができる学者たちの意見を意図的に無視した。何故ならばコロナが多額の予算が付与された「第2類指定感染症」でなければいけなかったからである。

普通の風邪だったらお金が出ないから、PCR検査を沢山やって陽性者を感染者として隔離して不安を煽る。また医学的に判断して本当は年齢的にも老衰死亡や癌が直接死因であっても、高感度のPCR検査をして陽性者だったら“怖いコロナ死亡者”となる。

全てが、2020年1/30の「第2類指定感染症・コロナ」から始まって途中見直しがなされなかった。第1回目の緊急事態宣言が解除後の2020年6月ごろには、「感染予防と社会・経済活動(飲み屋さんも含む)の両立が間違いなくできた」ことを(感染学にも免疫学にも素人だけど)私は確信しているのだが。

なお財務省ホームページの“令和2年度補正予算の概要について(主計局発)”を読めば、「第2類指定感染症」に基づいて講じられる経済対策の詳細概要が書かれている。その中にワクチン対応予算も当然計画されていた。ことが窺える。ただし第2類指定感染症(=医科学)を“公平性の原則”(=国益重視のリスク管理)に則して見直すこととは、行政府の責任で早急に実行されるべきものであることは当然である。

(2-2)リスクの最適化原則

2番目のこの原則はリスク管理が生み出す様々な他のリスクに十分配慮すること、即ち所謂“総合知”で全体最適を図ることの重要性を述べている。これこそ行政府の長である菅さんの責任分野である。例えば感染者数の増減(正確にはPCR陽性者数)に一喜一憂した対処的危機管理で自粛を繰り返していれば、国民の物(経済活動)・心(社会活動)両面にわたる生活基盤が大きく損なわれて全体国益を損なうことになるのは必至である。

つまり“感染学的アプローチ”によるコロナ対応では、ウイルス排他的な自粛(行動制限)策しか生まれてこない。「PCR陽性者数の増減➜自粛(行動制限)➜社会・経済活動を抑制➜GDP減(国益衰退)」を繰り返すのが日本の現状である。

しかし免疫学的アプローチによるコロナ対応では、感染しないことには免役は生まれないから、この真逆の行動を取るべきだと主張する。「コロナ難感染国➜感染予防と社会・経済活動の両立(=自粛しない)➜集団免疫/社会免疫+抗体でコロナ対応成功」

“コロナは怖い”だけのコロナ脳感染者からすれば、俄かに信じがたいだろうが、「日本人の98%は自然免疫・無症状で対応できているという科学的データがある。日本のように世界に比類なき“コロナ・難感染国”が取るべき戦略的コロナ対応は、ウイルス親和的(=with corona)な免疫学的アプローチであると私は確信している。

コロナ排除的自粛策を繰り返す感染症学的アプローチによる“自粛禍”である。自粛によって別のリスクが必ず生じて最適化どころか国中が混乱(カオス)に陥る。

日本がPCR陽性者数増減という対処的危機管理に終始したから、今回のコロナ対応は失敗したといっても過言でない。将来起こり得るいろいろなリスクを予測しながら実行する“国益重視のリスク管理”に一刻も早く方向転換することを私は提案する。

(2-3)リスク評価(Risk assessment)の原則

パンデミック感染は時間の経過とともに変化する特徴を持つ。例えば感染者数の増減や、変異株の出現等である。従って弛みない変化の観察(assessment:査定・診断・評価)と柔軟な戦略変更が重要であるという3番目の原則である。

ところで、変異株の出現はウイルス事情によるもので人為的な関与ができるものではないが、感染者数(正確にはPCR検査の陽性者数)や死亡者数は、検査の設定値や厚労省の指導によって人為が全く絡まないとも言い難い。従って人口100万人当たりの死亡者数という同一条件のFactベースで日本と世界のコロナ・リスクを評価してみる。

発生から1年半、日本のコロナ死亡者総数は、全世界の1/50(≒4,000/80)、欧米主要国の1/20(≒1,700/80)以下という事実が浮かび上がってくる。政府・専門部会・マスコミが挙ってこの事実を明らかにしたがらない。

なにせ100年に一度の予算措置された“2類指定感染症”の為せる業…と言ったら身も蓋もないが、第2類感染法に忖度したら見返りがあるのである。その結果一番迷惑を被るのは一般大多数の国民である。

日本政府や専門部会は、自国が“コロナ・難感染国”であるという僥倖に恵まれた事実検証(assessment)を特段にすることなく、只管1年半の間、コロナが“2類指定感染症”であると決めつけて突っ走った。無論マスコミも自局の視聴率を上げたい一心で国民不安を煽った。

一方Factベースの思考と予防的リスク管理が歴史的に根付いていると思われる“難感染国”の欧米主要国はといえば、感染初期にSARS-CoV-2の“免疫”を有していないというself-assessmentを終えた段階で、コロナ対応の最終手段であるワクチン開発までの道程を1年計画で描いた。現実に武漢で発生後の1年目にはワクチン上市を成し遂げられたのは、平時から国家的リスク管理(=安全保障問題)の一端である“バイオ技術”の力を有効に使って遺伝子組み換え型のワクチンをあっという間に作り上げたのである。トランプ前大統領は、多額のコロナ対応予算を世界のビッグ・ファーマと中小のベンチャー企業に投じてワクチン開発を促進させた。その成果は次のバイデン政権に花開いたが、アメリカのコロナ戦略と日本の感染症学的アプローチによる自粛の繰り返しとでは(リスク管理の観点から眺めても)雲泥の差があったことがお分かり頂けると思う。

(2)本項のまとめ

・日本のコロナ対応は、リスク管理の3原則すべてに適わない“対処的危機管理”(=PCR陽性者数に一喜一憂して自粛を繰り返す)に過ぎない。

・“全体国益を重視する予測的リスク管理”すなわち「感染予防と社会・経済活動の両立」することが、1回目の緊急事態宣言解除後の2020年6月には可能だった。

・COVID-19リスクの適正な評価(assessment)をしないで、いまだ「第2類指定感染症」としてのコロナ対応が、“コロナ・難感染国”の日本を混乱させている。

・日本が自粛を繰り返す“感染症学的アプローチ”で突っ走っている間に、“コロナ・易感染国”の欧米諸国は“バイオ技術を駆使したワクチン”の早期開発・接種戦略(=集団免疫獲得戦略)を1年間で成功裏に導いた。今の米・英・イスラエルの感染状況(感染者数や死亡者数)は1年前の日本の感染状況に等しい。残念極まりない。

・Factベースで、日本がワクチン戦略の欧米諸国と違って“難・感染国”である理由は、自粛の繰り返しが功を奏したのではなく、“日本固有の土着ウイルスに鍛えられた“歴史的・社会的・集団免役+抗体”を持っていたからだと思われる。(発生国中国も含む東アジア諸国の人口当たりコロナ死亡者数が、欧米諸国より極端に少ないことの科学的分析と検証が国益保護の為にも必須)。

・ワクチンの早期開発・接種拡大策のスピード遂行は、欧米のバイオ技術を駆使した“易・感染国”の発生当初からの基本戦略に巻き込まれて飲み込まれた日本の姿が浮かび上がってくる。正にコロナ対応が、転んでもタダで起きない米・英の自国優先戦略だったと言えるだろう。Cornwall-G7は、ワクチン開発戦略成功を高らかに謳いあげた。

・一方で“難・感染国”が取るべき対応『自粛をしないで、ヒト固有の自然免疫+抗体を維持するコロナ対応』には(意図的に)目も暮れず、欧米の“易・感染国戦略”を只管追い続けてきたのが日本の現状(2021初夏)である。

・COVID-19に対して“難・感染国”たる僥倖に恵まれた日本が、コロナ対応において(国際戦略に惑わされることなく)真の独立国家足らんとする絶好のチャンスを逃した…というのが本項の私の総括である。

次回は日本のコロナ対応が失敗した理由を、“what to do”の観点からではなく、ウイルスに対してどうあるべきか“how to be”の観点から解き明かしたい。