




はじめに
ヴェルディー円熟期のオペラに「椿姫」というのがあって、中でも第1幕冒頭の「乾杯の歌」は、オペラから離れて単独で歌われるほど有名である。事実パリ社交界の華やかさに酔いしれて毎夜乾杯を交わす貴族たちの様子を実によく表わしている曲である。僕も若い頃から嬉しいことがあったりした会社の帰り道には、鼻歌で歌っては気分を高揚させたものである。かれこれ160年前(日本では未だ江戸幕末である)に、イタリア人のヴェルディーは花の都パリの舞踏会向けの名曲を残してくれている。
しかしここで僕が申し上げたいことは少し違う。実は同じく1幕の後半に歌われる「プロヴァンスの海と陸」の方が、僕は何倍も好きな曲であるということである。目を閉じてこのバリトンで歌われるアリアを聴いていたら、日本から7千キロ余も離れたプロヴァンス地方なるものに強い憧れを持つこと請け合いである。何時の日かプロヴァンスの地に立ちたい。できるものならそこで暮らしたいと世離れした思いさえ持ったものである。実際に世界中で、「プロヴァンスに暮らしたい…」というタイトルで映画にも書籍にも沢山描かれていて人気が高い場所である。勿論僕もその例外でない。
今は仏蘭西放浪記のコーナーであるが、少しだけ大好きなオペラ談義で脱線することをお許し願いたい。つまりプロヴァンスの魅力を歌ったこのアリアが、実はオペラ「椿姫物語」のKey Music(全体の鍵を握る曲)だという確信が若い頃からあった。本や絵画を通じて知ったプロヴァンスに憧れていたヴェルディーだからこそ、彼はその魅力を五線譜に託して「プロヴァンスの海と陸」を作曲し、オペラの一番重要な場面で使ったのではないだろうか。
物語の紹介を簡単にしておこう。まずヒロイン椿姫(ヴィオレッタ:スミレ)はパリ社交界の高級娼婦で、オペラの原題は彼女を象徴した“道を外した女(トラヴィアータ)”と付けられている。オペラのヒーロー(アルフレード)は、パリ郊外で愛するヒロインと一緒に暮らしている。その家にアルフレードの父(ジェルモン)が故郷の南仏プロヴァンスからパリに上京してきて、「お前達二人の関係は、婚約する娘(つまりアルフレードの妹か)の障害となる。頼むから別れてくれないか…」と、二人を宥めながらも切々と謳いあげるのが、故郷賛歌『プロヴァンスの海と陸』である。理由はともかく、父親が息子とその愛人に別れることを要求して、自分の息子には故郷回帰を説得する場面である。当の息子はと言えば夜な夜な愉しいパリ社交界とそこで知り合った美しい椿姫のことで、頭の中は一杯だったのであろう。結局父の説得は息子の心には届かず、オペラ最後の結末は、パリの小さな一室でヒロイン椿姫が病に倒れて亡くなるという悲劇で幕を閉じる。
プロヴァンスをこの目で見て益々確信したことがある。もし僕がアルフレードならば(勿論したくてもそんな経験はできないが)、ここは父の説得をひとまずは受け入れる。次には実際に高級娼婦の足を洗おうとする愛すべきヴィオレッタを故郷プロヴァンスに呼び寄せる。そしてプロヴァンスの自然豊かな環境の中で二人仲よく静かな一生を送る道を選ぶであろうと‥。華やかなパリの社交界への二人の憧れや緊張に満ちた生活の魅力も分からないではないが、人生はそれで一生終われるほど甘くはない。プロヴァンス地方の豊かな自然に囲まれた生活がずっと人間的ではあるまいか。賭博や酒びたりの舞踏会社交のお金にも窮することなく、ヴィオレッタも(都会のストレスや乱れた生活が原因の)病に若くして倒れることも無かったであろうと思えてならない。作曲した当時のヴェルディーも人生の岐路に立ったのかもしれない。彼は作曲当時脂がのりきった円熟期の40歳頃である。アルフレードのような生活に流されかけたこともあろう。しかしアルフレードとは違う自分の人生観を、「オペラ椿姫」に託して世に発表したのではないだろうか。
先に書いたが、トラヴィアータ(人生の道を外した女)ヴィオレッタの前半生は、僕は許せる。人間そんな過ちもあろう。でも本当に彼女の後半生を救えなかったのは、若いアルフレードである。伴侶となりプロヴァンスで一緒に暮らしてヴィオレッタを救えなかった彼に(僕勝手に)レッドカード警告を出す。本当は道を誤ったのはアルフレードとは誰も言わないが、最後トラィアータがなくなる場面では、何時も悲しみと同時に怒りの涙で泣き出すのは僕だけだろうか。
翻って現代日本社会をみれば、都会の街角には二人のような境遇のカップルが沢山溢れている。勿論都会に暮らして「乾杯の歌」を歌いたい日が時にあるのは嬉しいが、一方で故郷の良さを謳った「プロヴァンスの海と陸」のような名曲にもたまには耳を傾けて、「己の人生の来し方行く末」を振り返る機会も大切且つ必要ではあるまいか。音楽に限らず、絵画を観る、読書する…等々を通じて、自分が経験したことのない他人の精神的営みに触れることは、生涯を通じて大変大切なことである。音楽で言えば、日本には「ふるさと」、「赤とんぼ」、「里の秋」…故郷への郷愁を誘う童謡が沢山あって、たまには聴いて鼻歌するのも中々いいものである。
プロヴァンスの田舎村
大好きな音楽談義になると止まらない悪い癖が出てしまった。(椿姫を作って世に問うた当時のヴェルディーの境遇と人生観については調べたらとても面白い。必ず「私の好きなもの」で述べたい)。今は仏蘭西放浪記に戻ろう。
さてベルディーが生きた時代後150年ほどの僕はといえば、花の都パリからTGVで2時間45分ほどで南仏アヴィニヨンに手軽にたどり着くことが出来る。駅に降り立った瞬間に、パリに暮らすよりプロヴァンスの生活の方がずっといいことがあるに違いないと直感した。9月も下旬であったが、アヴィニョンホームで吸い込んだ空気は、大変暖かいプロヴァンスの風が吹いていた。今回もパリからの日帰り旅程なので、プロヴァンスの海の碧さまでには触れることが出来なかったが、プロヴァンスの陸地の中心街アヴィニヨン発着バスツアーで訪れた4箇所の田舎村について冒頭写真の順番に紹介する。
①.「TGVアヴィニヨン駅」
先ずアヴィニヨン駅についてどうしても伝えたい。とても駅舎とは思えない一見美術館の如きアヴィニヨンTGV駅である。写真はパリ行20:30のTGVを待つオレンジ色が基調の駅構内であるが、この時間の駅外壁は純白のLedで照らされて、プロヴァンスの青い夜空と見事な好対照を呈する絶景であった。夜空に浮かぶ巨大宇宙船に出会ったようで幻想的でもある。駅構内の諸表示も見やすく機能美に溢れているし、駅舎内・外のデザイン、色調がハイセンスで芸術的なので、列車やバスを待つ間も全く退屈をしなかった。きっと自然溢れる田園風なプロヴァンスの村と好対照な都会風駅舎を意図して設計されたのであろう。余談であるが、フランス南東部(ニース等地中海沿岸も含む)方面行きTGVが発着するパリ・リヨン駅はといえば、逆にA.ヘプバーンの「昼下りの情事」のラストシーンのロケに使われたりしたように、古き佳き時代の雰囲気をそのまま残したシックな造りである。アヴィニヨンに向かう当日の朝、TGV出発前に駅構内を一周見学したら、これからプロバンス地方に向かう旅情が盛り上がってきたものである。それが3時間後にアヴィニヨン駅舎を観て両駅舎の様相の違いに驚いた。要は駅舎に限らず、フランスでは何処に行っても芸術センスあふれた建物が至る所に建っていて、旅をしていても芸術鑑賞が出来て実に愉しい。日本の主要駅が、食事処・お土産屋・ホテルの3点セットを備えた駅ビル方式ばかりであるのと大違いである。商売優先主義が行き過ぎたら、便利さより不快感が高まる時がある。そうだ、旅情にほど遠い彼の国の爆買いツアーに便利なのが日本のルミネ方式駅舎なのかもしれない…。
②.「ルシヨン」
アヴィニヨンからバスで約1時間走って最初の訪問地ルシヨンに降りたら、思わず驚きが声に出てしまう。見渡す限り赤味がかった黄土色(赤さび色、赤銅色…とか実際の色の名を正確に当てはめるのは難しいが)一色である。古い時代よりルシヨンは、土壌全体に赤黄土色(オークル)の鉱脈が広く走っていることで有名で、何千年もの長きにわたって村を創り上げてきた人間の営みを感じる村である。現在の住民は1000名余だときくから、皆お互いに知り合いではないか。写真にあるように村の中心部は小高い丘になっていて、麓には日除けに数本の緑樹が植えられている小さな広場があった。なおガイドに教えて貰ったが、ルシヨン村からバスの定期便があって、1時間ほど南に下れば地中海の大きな港町「マルセーユ」に着くという。そういえばプロヴァンスは、歌の通り「海と陸」とセットで住みたくなる地方なのである。
③.④.「ゴルド」
ゴルドは村の中の様子と少し離れたて観た外観の写真2枚を載せる。最初に訪れたルシヨンから少しアヴィニヨン寄り(即ち西方向)に戻ればゴルドである。綺麗なプロヴァンスの2つの村が隣接している地域なので移動のバスの車窓も美しい。ルシヨンより少し広目の村の中心の公園には、噴水を携えた教会が建っていて、幾度も映画のロケ地に使われたり、フランスで一番美しい村に推薦されたりしているのが実感できた。村には2000年も昔、ローマ軍の侵攻を防いだ遺跡があったりして、歴史のある町はやはり歩いていていろいろな感慨も深まる。ただゴルドに関しては、車で10分ほど走ったところにある場所から見る村全体の姿も素晴らしく、「鷹ノ巣村」と呼ばれる由縁である。なお一見物静かなゴルド村の全景写真とは裏腹に、撮影展望所が特設してあるわけでないので、その狭い場所は観光客と車でごった返していてシャッターを切るのにも大変危険な場所であった。僕も危ない目に合った、というよりドライバーに仏語で何度も怒鳴られて、少なくとも落ち着いた状態で撮影できなかった。高齢観光客には危ない絶景ポイントといえる。
⑤.「レ・ボー・ドゥ・プロヴァンス」
3番目は「ボー村」である。“ボー”はプロヴァンス語で“岩だらけの尾根”という意味らしいが、近世にアルミニウムの原料となるボーキサイトが近くで発見されてからその語源となったという話の方が有名かもしれない。またカトリック教徒が多いフランスに在って、プロテスタントの牙城としてここの城が利用されたが、仏の絶対王政の基礎を築いた宰相リシュリューの手で落城されたとガイドの説明があった。僕が今回3週間余り滞在したパリのアパートが、リシュリュー翼があるルーブル美術館に通じる“リシュリュー通り”というところにあったから、ガイドのその話をよく覚えている。現在の村はご覧のような石造り家屋で、静かなプロヴァンスの生活が営まれているのであろうか。僕は気に入って裏道に入り込んだら迷子になりそうで、バスの集合時間が気に掛かって早々に引き揚げた。何時かこのような雰囲気のある村をゆっくり散歩したい。アルフレードの父親ジェルモンが今にも出てきそうであった。
⑥.「ポン・デュ・ガール」
4番目、最後に訪れたのは世界遺産の「ガール県ガルトン川に掛かる石橋」。2000年も前に地域を制圧していたローマ人が築いた水道橋である。その時代には想像もつかない高度な建築技術(水源地から距離にして50km、高低差で12mしかないニームの街までの導水路を建設)を駆使したローマ人の偉大さに、僕はただただ言葉を失って下から見上げるばかりであった。一つの建築物が無言でが語りかけてくる、その奥深さには他の例をみない。橋の遺跡の前に佇むだけで感動する。