第11回 北のランスとアミアン

P1000721P1000726P1000799P1010505P1000810P1000796

はじめに

タイトルの頭に“北の…”と付けたのは、パリの北方面100km少々に位置するランス(Lens)とアミアン(Amiens)の話だからである。以前触れたことがあるけど、パリの東部100km足らずのシャンパーニュ地方にも同名異地のランス(Reims)があって、シャンパンと歴代国王の戴冠式が執り行われる大聖堂がある街として有名である。
そもそもロンドンからパリへ移動後最初に遠出したのは、パリ南西方向のワインの街「ボルドー」であった。続いて地中海方面に南下してPACA地域圏のプロヴァンスの陸都「アビニヨン」まで行った。そして同じくPACAに憧れてほぼ1週間おきに、港町の商都「マルセイユ」および国際的リーゾート地「ニース」と地中海に面した2つの街へ日帰り旅行をした。PACA地域圏で訪れた何れの3都ともパリ・リヨン駅からTGVで南下すること約1,000km前後あるので、早起き・深夜帰宅の強行軍の旅となった。帰路も現地に少しでも長く滞在したくてTGVの最終便で疲れ果ててパリに辿り着くことになる。タクシー代を節約して直ぐ地下鉄で帰宅を急ぐわけだが、結局3都市ともに「0泊2日の旅」となった。
深夜の地下鉄で“すいすい帰宅”が中々できない理由については、「パリ市内散策記―パリ地下鉄事情」で後日詳しく述べるとして、そのような深夜に地下鉄帰宅の繰り返しだったら、安全性の問題もあるし、現実に66歳の身体には負担が大きかった。そこで滞在全体の1/4強の10日ほどは、美術館等パリ市内の散策に充てて、予め遠出の予定を入れなかった。
しかるに天気がいいパリの朝、コーヒーを飲みながら快適な目覚めを気持ちよく味わっていたら、「美術鑑賞は雨天の日にでも遅くまで楽しめる。折角の晴の日には未知との遭遇を求めて郊外に出掛けよう!」と考えて、当初の目的の一つである美術鑑賞三昧は後半のスケジュールに段々と追いやられていった。オペラも観たくて会場(バスティーユ)に直接行ったが、予約で満席ということで通常の方法でチケットをゲットすることが出来なくて今回は諦めた。
(これは個人的な裏話である。尤も公式の天候記録にもきちんと残っていると思われるが、2014年9月中旬から10月末にかけた、僕がパリに滞在した間の天候たるや8割以上が晴れ、2割程度が曇り、少なくとも起床時に雨が降っていることは一日も無かった。結果40日間出かける際に傘を開くことは無かった。もちろんパリもロンドン並みに“Patchy Weather(パッチワークのように継ぎ接ぎだらけの天気)”なので終始傘を持ち歩いたが、特に午前は気持ちいい晴天が驚くほど続いた。生まれた日が梅雨6月の水曜日の大雨の日だったそうだから雨男の人生と思いきや、後世私的行事の日は晴れていたという記憶がほとんどである。今回も異国の地で“40日間晴れ男”で過ごせたことは有難い限りである。よく分からないが、この季節9月~10月のパリは晴れの確率が高いのかもしれない。
さてヒッチコック映画のタイトルではないが、パリから「北北西に進路を取れ」ば、100km少々でランス(Lens)に着く。帰路はパリの方向に南下する道程にアミアン(Amiens)がある。今回はパリ北部のこの二つの街を、早めの帰宅を期して1日で巡った際の出来事や感動を写真の説明も加えてご報告したい。
さて当日朝のお天気任せの思いつき旅の場合は、当然朝一番に切符の手配から始まる。パリ北駅チケットセンターで、先ず往路ランスまでのTGVチケットを買わなければならない。(帰路のルートが往路と違っても当然周遊往復切符があるのだろうが、仏語のやり取りでその類の切符を買える自信が正直なかった)。日本の“みどりの窓口”同様にPCが沢山並んだオフィスに入ったら、カウンターが左右に分かれている。正面左が“Aujourd’hui”(今日)、右側が“Apres-demain”(明日以降)と標識が出ている。少し迷ったが、僕の頭の中の仏語辞書に載っている数少ない仏単語からも想像力を働かせれば、標識等の解読はそれほど困難ではない。目星をつけて左の列の最後に並んだ。早朝から10人以上が既に並んでいたが、北駅はイギリス(ユーロスター)や、ベルギー(タリス)の始発駅なので国際色も豊かで、行き交う旅人を観察するのは中々面白い駅である。僕も彼らから見れば「変な東洋人」として奇異に映っていたのかもしれない。僕の番になって決済暗証番号付きクレジットカード(サインカードは外国では照合が困難であまり使わない)を片手に用意して、予め“Lens”と大文字ブロック体で書いたメモを差し出して、“Today’s next TGV, please”とだけ言う。“please”だけでも仏語で言いたいものだ。“S’il vous plait”(シルバープレイト:銀の皿)である。僕はチョコレートでも載せた銀の皿を差し出しながら、優雅に「如何ですか?どうぞ」と言って勧めるフランス女性の光景を目に浮かべてしまう。居眠りしていてもTGVが1000kmも離れた南フランスの町へ連れて行ってくれる旅とは少し違って、当日朝決める思い付き旅は切符の購入から始まるので、ドキドキ・ワクワクする。パリの美術館で味わう感動とはまた違う、予期せぬ出来事に出会える喜びが近郊の日帰り旅では沢山あるものだ。

①.ランス(Lense)のルーブル美術館別館
2012年末にランスに「新ルーブル美術館」が建設されたというニュースに接した時には、ルーブル所蔵の一級美術品の桁違いの多さが先ず想像できた。同時に日本の設計事務所がその建築に関わったとも聞いていたので、フランスに行った際には一度その建物とパリでは日の目をみなかった作品を一度は目にしたかった。
諸外国でルーブル展を開いている最中でも、パリ本家では“現在貸し出し中”なる標識は一切不要なほど所蔵している作品が多い。日本で高い入場料を払ってすし詰め状態で観覧している現状を思えば、美術愛好家ならずとも、パリ市民が本当に羨ましくなるものだ。一方で本家ルーブルが(贅沢にも)観客の混雑緩和策を模索していたことも噂に聞いていた。今年末(2015)にアラブ首長国連邦(UAE)に同じく“ルーブル・アブダビ”が開館されるニュースを聞いた時には正直驚いたが、さすが世界のルーブル美術館という印象である。しかも30年間“ルーブル”という名前が貸与されて、UAEによって美術館が運営されるらしい。これは単にフランスの芸術作品の海外展示戦略に留まらないで、フランスの莫大な芸術資産を使った、UAEの莫大なオイルマネー経済への食い込みを意味するわけで、両国がwin-winの関係を結んだ結果だと思われる。
一方で本国におけるランス・ルーブル別館の方にはUAEとは多少事情が違う経緯がありそうだ。つまりかっては炭鉱採掘が唯一の産業であったランスの町の再生施策としてルーブル別館が誘致建造されたと聞いていた。アパートを7時頃に出て、北駅で乗車券を買って1時間ほど列車に揺られて9時過ぎにはランス駅前に着いた。そこは事前の想像以上に店も人間も疎らな小さな田舎の駅前風景だった。午後にアミアン訪問を予定していたので、効率を優先して先ずタクシーを探したが、全く見当たらなくて少し不安になった。やっと駅を左に回り込んだところに連絡バス発着所らしき標識を見つけた。先に並んでいた女性のグループに、そこが美術館行き連絡バス乗り場であることを確認した。15分間隔で運行されている大型バスの乗客は、僕と女性6人グーループの7名だった。10分少々住宅街の細い道を走ったらいきなり平屋の美術館が現れた。同乗のよしみもあったので事前に了解をもらって、美術館を背景に彼女たちの立ち話姿を写真に収めたのが写真①である。美術館は、コンクリートや石材をほとんど使ってなくて、ガラスやアルミニウムを素材にした美しいフォルムの平屋建て(地下には大きな所蔵部屋やトイレ等があった)である。全館は広角レンズでも収まり切れず、彼女たちも小さく写ってしまったが、美人で愛想のいい仲良しグループ6人は楽しそうに一般者入り口手前ではしゃいでいた。各人固有の色々な人生物語が浮かんできて、このような何気ない光景をボンヤリと見ている時間が僕は好きである。この美術館は団体の来館者が多いのだろうか、建物左にある団体用入り口には貸し切りバスで来た様子の人たちが長蛇の列を作って開門を待っていた。空は早朝のパリ同様に気持ちの良い秋晴れであった。

②.新ルーブル美術館の展示室
奥行きが一直線に130mほどある展示室が幅広に広がって「時のギャラリー」と銘打ってある。ルーブル本館では一般に公開されなかった、BC3000年頃から19世紀にかけてのあらゆる文明の一級美術作品250点余りが、観やすく展示してあった。例えば広い平面に同時代の世界の美術品が幅広く順番に並んでいるので、異文化の作品を時代というキーワードで比較しながら鑑賞できるように工夫されている。パリの本館は部門別にまとめて作品が展示されているので、同時代の技術や文明を比較鑑賞するのには少し不便である。ランス・ルーブルの内部は、写真のように奥まで一面が見渡せて、白色で統一されている床や壁の中で作品の色彩が美しく際立っていた。また観覧者にとっては、都会の美術館のような混雑や圧迫感がなくて、ゆったりとした気分で鑑賞できるように、設計者の意図が行き届いた美術館であった。ルーブル所蔵の名作をパリ以外で観覧するのに、素晴らしい入れ物と展示方式が北のランスに実現した。お勧めの美術館である。
250点を展示しているルーブル別館には開館から2時間ほど滞在して、連絡バスで再度駅に戻ったのは正午頃だった。ランス駅では想定外のこともあった。つまりパリに普通列車で帰る途中にアミアンに寄る鉄道ルートは、ランスから1本の列車で行けなくてアラスという駅で乗換しなければならなかったこと、そしてランス駅には英語が喋れない(正確には喋らない)男性駅員が一人だけで切符を買うのが大変だったこと、サンドウィッチとコーラを駅舎内の売店で買って列車の中で食べながら眺めた車窓の景色が実にのんびりしていたこと等々…想定外の出来事だらけで、北のランスは忘れ難い駅の一つとなった。帰国してからも、このような何気ない田舎の景色が観光地よりも強く思い出されてならない。思い付き旅行の魅力なのかもしれない。

③.アミアンの大聖堂
アミアンは、元々40日間のパリ滞在中に、是非訪問したい場所の一つであった。つまり今回の40日間パリ滞在中に、「フランス国内の主要ゴシック建築の教会を一つでも多く巡る」という目的があったからである。これは、退職後僕が大学の宗教/哲学講座に通い続けていることに起因することかもしれないが、簡単に言えば、『人間誰しも、自分にとって聖なるものに触れたら自ずと手を合わせて思索的になって祈る』という真実をフランスでも実体験したかったのである。“聖なるもの”は、教会、神社・仏閣、聖書、音楽、美術、美しい自然、その他‥‥各人各様に違って当然であろうが、そのようなものに出会った時には頭を垂れて手を合わせて、自然と黙想や祈りの状態になるものではないだろうか。“聖なるもの”に一生出会わない人もいるかもしれない。僕の場合は、勝手にそのように感じるものが人生いたるところに沢山あるのだろう。
パリのノートルダム寺院に次いで2番目に訪問したのがアミアン大聖堂であった。写真は西側を向いて建っている教会正門を真正面から撮影したものであるが、正門に広角7mmレンズを向けてバックしていったら対面する建物の壁にぶつかってしまって、御覧のように全景が収まり切れなかった。天井高42.3m、全長145mは、EU圏でもドイツのケルン大聖堂(ドイツ)と1,2位を争う大きさで、アミアンの街のどこからでも市民は大聖堂を仰ぎ見ることが出来る。これは12世紀中葉のゴシック建築工法の発達とともに飛び梁(フライング・バットレス)が採用されたり、対角線上の4本の柱で屋根の重みを分散する工法が発展したから、高い建築が可能になったという。そして神や教会・聖人等の威厳を市民に誇示することによって、当然布教していくのにも役立ったことだろう。商人たちも敬虔なるものを感じたからであろう、多額の寄付を行ったようだ。教会も商人を題材にしたステンドグラスを内部各所にはめ込んだりして市民の信仰心を益々高めていったのではないだろうか。アミアンの大聖堂はあまりにも巨大で、僕には唯々圧倒される感がぬぐえなかったが、そこは中世来キリスト教と市民が上手く同居しているように感じられた。パリに早目に帰りたくて教会を1時間ほどで退去したが、夜にはライトアップされて格別の雰囲気があることを、その後知った時には、帰宅を早まったことを少し後悔した。パリまでは1時間、自由席普通列車で何時でも帰れたものだった。

④.大聖堂遠景
先に書いたがアミアンには運河がよく整備されて川沿いは市民の憩いの場ともなっている。写真の真ん中は小川、左手には飲み屋が連なり午後のテラスはお客で一杯だった。正面には教会に通じる右手坂道に通じる橋が架かっていた。また川沿いにはこの季節がら、日本の秋桜(コスモス)らしき花が植えられていたが、遠景の大聖堂の姿と不思議とマッチングしていた。

⑤.学生の行事
今度は④を背にして歩き始めたら、何やら大騒ぎしている若者たちの歓声が聞こえてきたので、その方向へ足が向かった。そしたら御覧のように川の真ん中に建てられた(偉人の?)石像めがけて両岸から学生(多分ピカルディ大学の学生たちだろうか、アミアンじゃピカルディ圏の首府である)が川に飛び込んで石像に着せてあった白いシャツの争奪戦を繰り広げていたのである。ライティングは見逃したが、いいタイミングで大聖堂から下町に降りてきたものだ。フランスの若者たちの珍しい光景に出会うことが出来た。結局30分程度、地元の人や学生たちと一緒に声援を送りながら観覧した。学生の伝統行事だったのかもしれない。ルーブルの美術品からの感動とは違った、今を一生懸命生きている若者たちの活動の一端を観ることが出来た。そして僕の大学生時代には酒を飲んで、歌舞伎町の(今はなき)噴水に飛び込む蛮行が流行っていたのと比べて、随分アミアンの学生の方が品格があっていいなと思った。

⑥.大聖堂のステンドガラス
聖堂内部の高い天井に届かんとするステンドガラスである。祭壇(altar:オールター)は通常東側にあるが、朝日に照らされる効果も予測して設置されたのであろう。夕刻は③の円形のステンドガラスが内部を美しく照らすのだ。朝な夕な教会を訪れる信徒たちが、聖堂内部に映える綺麗なステンドグラスに感動して自ずと手わわせて祈る姿が目に浮かんだ。