第13回 東のランス大聖堂

はじめに

パリから同じ120kmほど離れている場所にある街でも、北にある“Lens”と東にある“Reims”は、共に同音“ランス”と発音するが、前者は「新ルーブル美術別館」、後者は「大聖堂」で有名な場所である。今回はその「東のランス」へ行ってきた話である。

最初に反省がある。今までの「40日間の仏蘭西放浪記」12編を読み直して感じたのは、各編とも聊か冗長すぎたということだ。読者もさぞや読み難いことだったろう。まあFace Bookほどの長さでは、僕も少し物足りないだろうから、先ず訪問した場所の写真とそのコメントを読んで貰えば本来は十分と心得た。そしてこれは自らが小さい頃からの性質でどうしようもないのだが、他人様に教え魔的なところがあって、ついつい長い文章になってしまう。反省した次第である。最初と最後にほんの少々、何処かの先生的な所が出てくるのには我慢して頂くとして、写真(原則6枚)とコメントを中核にすることにした。俳句や短歌に旅の感情を簡潔にまとめて時の自分の気持ちを表現できる人が実に羨ましい限りである。なお掲載した写真は全部、今回の旅で僕が撮ったオリジナル写真なので世界初物として見て頂ければ幸甚である。

ランスとは

さてシャンパーヌ地方の中心都市“東のランスReims”は、北のランスと違って大変歴史がある街で、直接間接問わず自国フランスは元より、欧州、世界に向けて長く大きな影響を及ぼし続けている。

その第一はシャンパン(仏:シャンパーニュ、英語:シャンペインと発音。古仏語の田舎champagne由来する)。値段が高いこともあるが、悲しみの場面よりも嬉しい場面で飲まれることが多い飲み物である。確かに豪華な色・立ち上がる泡・シャープな味…飲む人を益々幸せな気分にさせてくれるので、ヤケ酒にはまず用いない。仏のシャンパーニュ地方で定められた製法で造られたものでなければ、シャンパンの名称を使うことは出来ないという、世界中に向けてフランス発信のまさに極上発砲ワイン品である。

冗長にならないという誓いを早速破って余談を1件だけ。どうしても僕自身の想い出として他人様に知って頂きたいことなので…。それはシャンパンが極上品として一番似合う映画の場面の話。1942年のアメリカ映画「カサブランカ」の中で、主人公リックとイルザが初めてパリで出会った時に、二人がシャンパンで出逢いを祝す。その時のリックの台詞が「君の瞳に乾杯:Here’s looking at you !」だ。見詰め合うH.ボガードとI.バーグマンの表情。映画の展開(特に結末が僕好み)…全て上出来極上品の映画である。僕がカサブランカを最初観た時には、未だシャンパンを飲んだことが無い若い年台であったが、あの場面でシャンパンが人生という舞台で果たす役割を教えてもらった映画であった。今日まで映画と酒好きで人生を豊かに暮らせたと思っている僕には、決して忘れられない大切な映画の一つである。実際にはアメリカも対独参戦した第二次世界大戦における国際問題を背景にした映画であるが、日本が真珠湾攻撃を仕掛けた翌年には既にアメリカで造られていたのである。ただそれを知っただけで、日本が対米戦争に勝てるわけないと思うのは、時代を超えて僕だけではないのではないだろうか。

ランスに話を戻そう。ヨーロッパの地図を開いてランスの場所を確認すれば、東にはロレーヌ(独に繋がる鉄鉱石等の地下資源が豊富な重工業生産地)、西にはイル・ド・フランス(パリを中心に発展した7県がフランスの中で大きな一つな島地形を形成し政治的にも仏王家発祥の地域)、南にはブルゴーニュ(ボルドーと並ぶ2大ワイン生産地)、そして北にはフランドル(ベルギーに繋がる毛織物業地)と、東西南北を産業等が豊かに発展した4つの地方に囲まれて、その十字形の中心に位置しているのがランスであることが分かる。

当然交通の要衝地にあったランスでは周辺地域と共に商業活動が活発で、「シャンパーニュの大市」が12~3世紀をピークに催された。ただその後14~5世紀の100年戦争や大河を活用した海路の発達の影響などが加担して、元々高級消費に限定されたシャンペン事業以外にはさしたる重工業類産業が無かったランスは、人口過疎の流れを食い止めることが出来なかった。

然しながら古くはローマ時代からのレミ族(Remi)が居住していたランスには、早くから大司教座(キリスト教の管理区域)が置かれ、キリスト教の伝道期に数多くの聖人を輩出して、5世紀末には当時のフランク王国がランスで洗礼を受けた。所謂フランク族とキリスト教の結合達成である。民族と宗教の結合達成といえば、538年仏像と経典が朝鮮半島から我が国に伝来したことを想起する。聖徳太子も仏教興隆に努めて日本を統治する考えだったので、仏教がそれまでの神道に加えて、日本民族の宗教的/精神的支柱の一つになっていったのである。仏蘭西ではその後ローマカトリック教会を国教と定めたりして、国王の戴冠式がランスの大聖堂で行われるようになった嚆矢がここにある。その戴冠式が挙行された聖堂が以下の写真にある“ランスの大聖堂”である。ルイ1世以降シャルル10世までの約1,000年間に25人の王が現在の大聖堂で聖別を受け、フランス国王として国を統治した。1人の国王が平均して1世代40年間君臨したことになるが、15世紀にイギリスとの100年戦争を終結に導いたジャンヌ・ダルクに導かれて聖別を受けた勝利王・シャルル7世、絶対的権威を確立して72年(ギネス記録)も在位した太陽王・ルイ14世などがいる。そして死んだら国王たちは皆パリの“サンドニ教会”(第12回掲載)に埋葬されたわけである。なお当然のことであるが、ランスの教会にはフランス王家と関係が深い“fleur-de-lisフルール・ドゥ・リス(ユリ/アヤメの花)”が教会内外のあらゆるところに見受けられるが、市民革命後の共和国としてのフランスはフルール・ドゥ・リスを正式に採用しなかったと聞く。

 

写真①.②.ランス大聖堂の外観

正式には、“ランス・ノートルダム大聖堂”。カトリック教では、我がマリア(notre d’am/our mother)像に祈る教会として、ノートルダム寺院と称する教会が大変多い。①のように僕が訪れた時(2014.9.28.)には正面真ん中のファサード部分が修復中で長い覆いが掛かった状態であった。7mm広角レンズを構えて聖堂を追っ掛けたら、なんと教会入口から100m以上もバックしてやっと全容が写真に納まった。巨大な教会である。一旦外に出て教会の真後ろ側に行ったら、シャガールのステンドグラスがある後陣は②のように映った。まるで巨大な軍艦を船尾から眺めているようだった。パリ市のノートルダム寺院より一回りも二回りも大きい。

写真③.微笑みの天使

主に教会外側彫刻2,000体に飾られているが、一体一体をカメラの望遠レンズで拡大して観ると全部が素晴らしい出来栄えで今にも動き出しそうな錯覚にとらわれる。特にこの“微笑みの天使”の出来栄えは秀逸である。彼女の表情には此方の顔も自ずと緩んで微笑んできて幸せな気分になってくる。ランス駅前のお菓子屋の店頭に並んでいるパッケージにも沢山使われていて、街のシンボルにも等しい。

写真④.大聖堂の内観(ステンドグラス)

迂闊にも、後陣最奥にあるのがシャガール作のステンドグラスであることを帰国後知った。掲載の写真がシャガール作かは確信が持てない。ただ僕がランス聖堂内で一番美しいと思ってシャッターを切ったものだから多分シャガールだろう、まあそのように思っておこう。ガイドの説明が原則ない独り旅にあっては、日本での予習が大変重要であることを改めて痛感した。他にはシャンペン製造の様子を描いたステンドグラスを新発見したが流石シャンペン製造本場の教会だなと実感した。よほど住人の気持ちが教会の教えと一体となって浸透していたのではないだろうか。日本の寺社仏閣には、金額を書いた著名人や地元業者寄進の名札や石柱等をよく見かけるが、それらにはどうもご利益祈願の感を拭えないのだが、皆様方はどのように感じられるであろうか。

⑤.看板熟女“ロージー”

大聖堂を観た感動も冷めやらぬまま、教会正面の敷地が途切れる所にある公園のベンチで一休止していたら、目の前のお店から大きなラブラドール犬が出てきて僕の前に座った。大変人懐っこく尻尾を振るので、猫好きの僕が恐る恐る頭をなでると益々尻尾を振る。家に残してきた愛猫トラのことを思い出しながらも、異国で出会ったこの犬には実に癒された。出てきたお店をよく見たら教会前のその店は酒屋さんであった。高級そうな極上シャンペンがずらりと並んでいた。ご主人も出てきて英語で挨拶を交わした。白のラブラドールで名前はロージー、12歳。僕がロージーを“matured lady !”と言ったら、2枚目ご主人はゲラゲラ笑っていた。ロージーが元気な内にランスに行って再会したいものだ。ご主人はともかくロージーの姿を僕は今も忘れられない。仏蘭西放浪で撮った貴重な写真の一枚である。

⑥.夜のランス大通り

駅まで結構歩くので、後ろ髪をひかれる思いでお店を18時頃に後にした。酒屋のご主人もランス大聖堂は夜のライトアップが格別で、それを目的にした観光客が多いことを知った。パリのアパートを基地にしたエコノミカルな郊外旅は、訪問地に宿泊しないので現地の夜景を中々堪能できない欠点がある。ごめんねロージー、日帰り旅の悲しさよ。シャンペンの1本も買えたら良かったが、安アパートにはシャンペンが似合わないことは、カサブランカの一場面で学んでいたので簡単に諦めることが出来た。

写真は、ランス駅から大聖堂の方向に伸びた大通りであるが、黄昏時から大変賑わっていた。広い道に突き出した部分のテラスには沢山テーブルが並んでいた。19時のTGVの予約をしていなかったら、間違いなくワインとおつまみで一杯やっていただろう。。