はじめに
今回は1日で2ヶ所の教会を歴史が古い順に辿る旅である。即ち“ロマネスク様式のサンジェルマン”⇒“ゴシック様式のシャルトル”というone-day tripである。最初に訪ねたサン=ジェルマン=デ=プレ教会はセーヌ左岸6区(パリ市内を西方向の大西洋岸に向けて流れているセーヌ川の左側)にあるロマネスク様式教会で、パリ最古(542年即ち日本に仏教が伝わった同時期)の教会として有名である。次いでシャルトルの教会へ行くためには、サンジェルマン駅から1kmを歩くか、地下鉄を2駅南に下った“モンパルナス駅”に行かねばならない。そして南西方向に走るフランス国鉄のTER(Transport Express Regional:テー・ウー・エルと言ってローカルな地域鉄道)列車に乗るわけだが、シャルトル駅まで80km、1時間20分ほどの車窓は鄙びた無人駅があったりして、TGVとは違ったのんびりした列車旅が楽しめる。僕は駅の売店で買ったサンドウィッチとコーラの昼食を食べながら、大学時代にW劇場で観た“モンパルナスの灯”という、貧困と病苦の内にモンパルナスの地に果てた画家のモジリアニの晩年を描いた映画を思い起こした。まさかその映画のことを、退職後にシャルトル教会を再訪する目的で乗った列車の中で思い出すとは我ながら意外であった。前回シャルトル教会を訪ねたのは30年以上も前の強行軍な団体旅行であったが、映画のことを全く思い起こすことは無かった。こうして人生の晩年に時間を気にせず独り乗ったローカル列車の中で突然映画が出てきたのは、“Montparnasse”という言葉の響きによって、映画の出来具合や主人公の妻を演じたアヌーク・エーメの飛び切りの美貌など複雑に絡み合った記憶がふと再生したためだろう。そして何よりも嬉しかったのは、僕の大学生活の様々な思い出がこの世に甦ったことである。思い出との久し振りの邂逅は実に幸せな気分であった。人間は昔を懐かしむ思いが強くなった時には、概ね今が幸せな気分で暮らせている時に限られるのではなかろうか。未来の新しい遭遇を求めて飛び回るよりも、過去を静かに思い起こす事に身を任せる方が僕は好きである。中学時代のことまでも列車の中で懐かく思い出していた。全く歳を取ったものである。
そのモンパルナス駅の横には、今は激しい景観論争を経てパリで一番高い“トゥール・モンパルナス59階建て商業タワービル”が建っている。多くの日本人向けガイドブックには、悪名高い長蛇の列に並んで昇るエッフェル塔からの眺めがパリ最高だと推奨してあるが、パリの街並みや景観を愛するパリ在住者達に言わせれば、モンパルナスタワー最上階からの眺めが最高だと主張する。その理由は、パリの街並みに一番不似合いな建物を観なくて済むからだそうだ。パリッ子が好む一種のエスプリ的表現でクスリと笑えるが、僕の経験から言わせてもらえば、地元の人の意見の方が正鵠を得ていると思われる。夕陽に照らされ、やがて色とりどりの照明でドレスアップしたエッフェル塔は、まさにパリの景観に一番マッチした芸術作品である。美しい塔は本来外から観るべきものなのである。何よりも1889年パリ万博を記念して建てられたエッフェル塔はパリ市民に120年以上もずっと愛され続けているのである。今回の旅では、シャルトル行きTERに乗る為にモンパルナスタワーを横目にしただけで、エッフェル塔同様最上階へ登楼する機会を無くしてしまった。小さい時から煙と一緒で、高い場所が好きな傾向がいまだ僕にはある。この歳でもうモンパルナス最上階からエッフェル塔とパリのネオンの夜景を眺めて心を躍らせる機会はもう生涯無いかもしれない。
さて今回敢行した、サンジェルマン~シャルトル1日ツアーは、建築様式が違う2つの教会を、モンパルナス駅を中継点として効率よく巡るのに適したコースだと自画自賛している。所謂700年の時空を超えた2つの名教会を1日で堪能できるコースである。これからパリに行く機会がおありなら、是非事前の計画段階でこの1日コースを組み入れて行かれることをお勧めしたい。更に可能なら(多分)夜11時頃まで(日中も並ばないで)行けるモンパルナスタワー最上階からのエッフェル塔とパリの夜景を目に焼き付けることも忘れないで戴きたい。パリに戻った足で隣のタワー最上階まで行く時間は十分あるはずだ。
(写真の説明)
写真①.サン=ジェルマン=デ=プレ教会内部
聖ジェルマンが住む近所にある教会ということだろうか。教会の内外至る所に、如何にも6C半ばにパリ司教区の聖ジェルマン司教が奉堂したという雰囲気が今も残っている。当時の建築技術では精一杯の高さと広さであろう。塔の最高部も現代の3~4階の建物並みで遠くからは目立たない。地下鉄地上出口を出たすぐ傍が教会の外壁であることに気付かないほど普通の存在感である。写真は教会奥手にある、ローソクの灯が辺りを照らす祠のような部分である。当時からキリスト教を宣教するという意味合いより、苦しい時に周囲の住民が祈りを捧げに集まったり、身内の死者の霊を静かに祀る雰囲気が漂っている。次の時代のゴシック建築のような、壮大な建物で教会の権威を周囲に誇示するような雰囲気は全くなく、異教徒の僕でさえ自然と手を合わせて静かに黙想(meditation)したくなる場所である。パリに行ったら何度でも訪ねて、心を鎮めたくなる教会である。
②.サンジェルマンからモンパルナス駅に延びる大通り。
教会で厳かな気分になって一歩外に出た途端に、教会に入る時は気付かなかったが、真正面にルイ・ヴィトンの店舗が地上階に入っている建物が目に飛び込んできた。教会を見下ろすような高層アパートの1階部分である。その右隣の交差点角地に「カフェ・ドゥ・マゴ(二つの人形)」がある。その古さを日本と比較しやすく言えば、明治17年日清戦争勃発時の創業で、ヘミングウェイやピカソ、サルトル、ボーボワール…等多くの芸術家や思想家に愛されてきた老舗カフェだ。サンジェルマンの交差点界隈には「カフェ・ド・フロール(花)」や「ブラッスリー・リップ」など文化人が足繁く通って歓談、思索、執筆…した店が沢山ある。ただ日本人の僕は、教会は何度も訪れたことはあるが、そのような店のテラスでお茶をするには、かなり気後れする気持ちがあって未だお店に入ったことが無い。そして写真の奥に見えるのが、件のモンパルナスタワーである。確かにただ高いだけで周囲に美しく溶け込んでいるとは思えない。それでもモンパルナス駅を目指すランドマークとして大変便利で、少々横町に入り込んでもサンジェルマン/モンパルナス近辺の散歩をするのに道に迷う心配はまずない。
③.シャルトル=ノートルダム大聖堂内部
シャルトル=ノートルダム大聖堂は、フランス各地に沢山あるノートル・ダム(我等のマリア)を冠する教会で、聖母マリアの聖衣だと言われているチュニック(袖付き前合わせ上衣)を所蔵していることで、世界中から聖母マリア巡礼者が訪れる教会である。写真は、壮大な大理石彫刻が置かれた祭壇前で丁度(多分夕べの)ミサが行われている時に遭遇したので、信者さんたちには失礼を承知でこの写真を撮らせて頂いた。混声で謳われたミサ曲が素晴らしくて、荘厳な響きが大きな聖堂内に響き渡っていた。会社にグレゴリア聖歌にのめり込んだ末に50台半ばに洗礼を受けてキリスト者になった後輩がいたが、僕も偶々シャルトル教会での夕べのミサに同席することが出来て、ほんの一部であろうが、彼が入信した気持ちがよく分かる気がした。
④.教会の入り口の彫刻群
「王の門」と称した西正面ファサードの彫刻群である。教会に集まる信者にとっては、この門を見上げながら教会へ入る時には、まるで天国へ導かれるような気分になることだろう。夜空の星も高い塔もそうであるが、人間が高いものを見上げる時に感じる感覚には、ものを見下す時に感じる時とは反対に、己の力の無さに謙虚な気持ちになって、何か人間の力ではどうにも及ばない絶対的なるものを求めたくなるものがあるのではないだろうか。神の似像として創造された人間だけに与えられた一種の希望を抱ける行動とも受け止められる。そう言えば、動物には(僕の想像だが)仰ぎ見る姿勢を取って思考することはまず無さそうだ。シャルトルへ来て初めてこのようなことを考えた。
⑤.教会内部のステンドグラス
この教会を世界的に有名なものしているものの一つに、シャルトルブルーと呼ばれる青色を基調にしたステンドグラスがある。アダムとイブの物語を描いた失楽園やノアの方舟を描いたものもあった。何れも言葉を失って仰角の姿勢を黙って取り続ける美しさとしか表現することができない。
⑥.夜空のシャルトル遠景
シャルトルからパリに帰るTER最終列車の時間が分からないまま、後ろ髪をひかれる思いで教会を後にしたのはもう19時を廻っていた。夕べのミサの間は時間の感覚が全く無くなっていたのである。駅まで戻って1時間に1本しかないモンパルナス駅までの切符を確保した時は一先ずホッとした。それでも時計をみると発車時刻までに少々の時間があったので、もう一度遠くからでもいいから教会が観える場所まで戻りたくなった。これはその時に撮った写真である。僕は完全に漆黒の夜空になった中に浮かび上がったシャルトル教会を見上げた時に、無意識に両手を合わせていた。モンパルナス駅に着いたのは22時を過ぎていたので現代のタワーを見上げることもなく、地下通路で接続している地下鉄で家路を急いだ。それにしても随分見上げることが多い1日であったが、ビールとフランスパンの夕食を済ましたら気持ちいい疲労感に包まれてよく眠れた。
最後に
ゴシック(ゴート族の、野蛮な)様式の教会は、1150年半ばより1500年初め頃まで北フランスを中心に全ヨーロッパで建てられたが、僕の個人的見解に基づく発祥地フランスのベスト3を敢えて選ぶなら、『ランス・アミアン・シャルトル』と言う結論になろうか。何れの教会の訪問レポートを掲載したが、これは教会の外観はじめ建築技術、内外装飾、規模…等からの総合評価である。何れも多くの人数を一同に収容できる広い床と天国にも届かんとする塔や天井を備えている。さらに内部のステンドグラスの美しさや奏でられる宗教音楽、彫刻…などの芸術的演出が、訪れる人間を何時も神聖な気分にさせてくれる。キリスト者ではない僕も、ヨーロッパを旅したら必ず存在する教会をもう何百か所も訪ねたが、言葉や理屈抜きに自ずと神の存在を信じたくなるような厳かな気分にさせてくれるのである。逆に日本の神社仏閣を訪ねてくる外国人も同様な感動を味わっていることだろう。詰まる所人間は、自分の力だけではどうにも現状を変えることができない状態に置かれる度に、人間の力を超越した目に見えない何かの存在を信じそして、意識することなく自ずと祈っているのである。日頃から無神論者を名乗っている人でさえも…。