はじめに
第1回で、戦後日本の統治に当ったGHQは、野球が第二次世界大戦敗戦後の日本において、民主主義的平和の復活を図る目的にマッチしているスポーツだとして、その普及に積極的であったことを紹介した。僕もその魅力に取りつかれたまま今日に至っている。しかしながら、国民の人気度合ではファンの数を野球と二分しているサッカーについても、野球と比較しながら比較スポーツ論的に取り上げなければ、ここは収まらない話であろう。つまりFIFA主催のワールドカップ・サッカー大会(以降WCと略)を主催するだけで、その国に8000億円以上の収益をもたらすという試算があるほどで、テレビの視聴者数や経済効果等において、オリンピック大会(野球も含む30以上の競技と400以上の種目がある)を遥かに凌ぐ世界最大のイベントが、ワールドカップ・サッカー大会なのである。FIFAも巧みなビジネス手腕を発揮したものだと感心するが、砂糖に群がる蟻の如く開催国はもとより、マスコミはじめありとあらゆるビジネスが経済的利権争いを、開催国決定を巡って繰り広げているのである。私感だが、昨今のFIFA幹部への賄賂問題をアメリカ司法局が告発した背景には、次回以降の開催国であるロシアやUAEなどへのゆさぶりが無いとは言えまい。またサッカーよりもベースボールやアメリカンフットボールの人気が高くて、サッカーの人気がイマイチのアメリカが…と野球ファンの僕が懐手して考えると、今回のFIFA幹部の汚職事件は、本物のサッカー観戦よりずっと面白いと茶化したくなる。それにつけてもスポーツ自体がルール順守でなりたっているのであるから、そこに絡む企業や協会には当然法令を順守するコンプライアンス精神が強く求められる。国際大会にはビジネスが絡むのは仕方が無いことだが、本来は崇高且つ青少年育成の最たる手段の一つであるスポーツが、努努(ユメユメ)商業主義に犯されないように切に願うのみである。
何れにしても国際的な浸透度という観点では、サッカーが野球の比でないことは、WBC(World Baseball Classics:野球の世界一を決める大会)の参加国が現在16チームに留まっていることからも明白である。さて参加国が200か国を越すというFIFAが主催するこの民族の祭典WCにおける日本の戦績が、先の2014年ブラジル大会、アジアカップ共に悲惨を極めた。何故なのか?技術的な知見が殆どない吾輩は、この素朴な疑問に対しては、素朴な考察で挑むしかない。そして巷間あまり取り沙汰されないが、日本人が「サッカーというスポーツの認識に関して大きな落とし穴」にはまりこんでいるように僕は思う。その結果「ある種の幻想」にも迷い込んでいるようである。フィジカル・技術的な面からは、外国監督の登用も含めて、数多の評論家諸氏から色々な提言がなされているものの、殆どその成果が得られていないのが現状である。反面(先述したビジネス利権に取りつかれた)マスコミ報道が元手を回収せんとして度を越す一方なので、その戦績に対する国民の落胆度合いたるや益々大きくなるというものである。
民族とスポーツ
先ず「認識の落とし穴」から述べよう。これは飽くまでも少なからぬ例外がある一般論ではあるが、僕の結論は「サッカー選手に求められるフィジカル面における運動能力は、狩猟民族が長い歴史を経て彼らのDNAに織りこんである運動能力であり、牧畜民族、ましてや農耕民族のそれではない」ということである。NHKの特別番組で、ブラジルのネイマール選手の運動能力を超高速カメラで撮って分析していたが、彼の骨格、筋力、運動神経などおよそ人間離れしていて、まさにサッカー向きに出来上がっているとさえ思えてきて驚いたことがあった。
例えば猫が球や羽根に必死でじゃれている姿を思い浮かべて欲しい。まあ飼い猫に限らず野生に暮らす捕食性動物の、動く動物を捕まえる能力は素晴らしい能力が備わっている。そうして獲物を摂って民族存続の危機を潜り抜けてきたのである。「身体をどのように動かして食べ物を得るのか?」これが僕のスポーツ民族論のスタートである。つまり狩猟民族は必死で逃げる(或いは向かってくる)諸動物を追いかけて捕まえて生きていく為の食べ物とするのである。正に生き抜くためにサッカーボール(獲物)を追いかけて最後はゴールに打ち込む姿は狩猟民族そのものではないだろうか。それは定住して田畑から得られる米や根菜類を主食とする農耕民族である日本人の動きとは全く違う。俊敏な運動能力を必要としなかった。また同じ狩猟でも日本人のタンパク源である魚類を捕まえる漁業の動きは、船を漕いで魚が居そうな一定の場所で網や釣り竿を垂れて、最後は引き上げる力で魚を釣りあげる。
比較文明論ではないが、人類が如何にして食材を得る工夫をしたかは、武器や工具などを見比べたらよく分かる。つまり西洋の武器である槍/サーベルは動くものを追い駆けて押して(push)止めを刺す。西洋で土を掘り起こす時に使うスコップも脚力と腕力の押す力を使って仕事をする。一方日本人が動かない田畑を(或いは海/川に於いても)耕す時に使う鍬あるいは釣り具などの道具は、基本的には引く力(pull)を確り伝達しやすいようにできている。調理する刺身包丁も引いて切る。木を切るノコギリ、武器である日本刀も弓も全部引く力(pull)を利用して威力を発揮するように作られている。また牛馬羊を扱う牧畜民族は、自分より大きくて重たい家畜を上手くコントロールして意のままに取り扱って主食を得るわけだが、その際に使う筋力は相撲の時に使う技/筋力そのものである。大相撲の横綱大関陣の大半がモンゴル出身で占められている訳がお分かり頂けるであろう。モンゴルで少年時代を過ごした彼らは、小さい時から自分より重たい家畜を扱って家事の手伝いをしたのであろう。一方農耕民族の日本人は、たまに重たい米俵を落ち上げる筋力を使うこともあるが、素早く動いたり廻しを取って投げる技術は、重たい家畜を相手にする牧畜民族には敵わない。農耕民族の彼らは今後柔道、レスリング競技の分野においても強い選手が沢山出てくるだろう。なにしろ自分より大きい牛馬を大人しく従わせるのだから。
つまりサッカー選手に求められる、「素早い判断力(動体視力なども含む)・力強いキック力・俊敏な走力の三大力」は、まさに狩猟民族としての優勢遺伝子を引き継いでいる選手達が先天的に備えているものであること認めざるを得ない。元々俊敏な動物や重量級の牧畜を食べないで、相手が動かないものを食料としてきた農耕民族の運動能力たるや、筋力も弱くて、俊敏に動く能力において先天的に劣勢であることは否めない。だからこそ後天的には練習を重ねて技術力を向上させて狩猟民族との差を縮める努力は、他の民族の何倍も必要なのである。同時に米作りで習得した逆境時の戦略的思考力というか少なくとも相手チーム以上の戦術を持って試合を進めることが求められる。
なお最後に言い忘れたが、農耕民族の女子サッカー「なでしこジャパン」が何故にどの様にしてWCで優勝できたのか?という疑問に答えなければならない。それは、禁断の実を食べた「アダムとイヴ」の時代に遡る。神が2人に仰った、「男のアダムは額に汗して働き、女のイヴは産みの苦しみを味わえ」と。即ち男は、狩猟に牧畜に農耕に…額に汗して働いて各々に適した身体的特徴や運動能力を身に付けていった。しかし女は、民族/場所に拘らず世界中で皆が子を孕み子孫を残すことに努力したのである。それが神の命令であったから仕方ない。女子サッカーは男子ほどフィジカル身体的特徴に左右されない、練習によってサッカーに適した身体や運動能力を作りやすい。勝負を決するのは寧ろメンタリティー精神力の要素が大きいと思われる。「撫子なでしこ」とは大切に撫でるようなイメージでサッカーのプレイとかけ離れた命名をしたものであるが、内には勝負にこだわる強い精神力を秘めて闘っているのであろう。正に「外面如菩薩、内心如夜叉」。懐手してサッカー観戦している、日本男児のなり損ないで身体的にも精神的にも弱いことを自認している僕は、「なでしこジャパン」のメンバーのような日本女性に只々尊敬の念を抱くのみである。それにつけても、「内心は夜叉の如く」とは女性の怖い一面を言っているだろうが、ここは試合中だけにしてほしいものである。
提言
1.メンタリティーの強化
フィジカル面のDNAに於いて、農耕民族の日本選手に狩猟民族系の選手たちを越せない部分があるのならば、後天的にフィジカル面での猛練習を重ねて対抗するしかない。同時にサッカーが相手国よりも少しでも強い愛国精神を持って戦う格闘技であることを叩き込んで、メンタリティーの強さを徹底的に鍛えるのである。日本のサッカーがフィジカル的に劣っているからこそ、メンタル面での強さが求められるのではないだろうか。先述した「なでしこジャパン」を見習うべきである。ベトナム戦争時のベトナム国民のような強固な民族的結束と高揚感がどのような環境下で生まれるのだろうか。今サッカー強国と言われている国をみて思うことは、歴史的に隣国との国境問題を経験していることに気付く。地勢学(フィジカル・ゲオグラフィー)的にみても、国を守るとか祖国を愛するとかいう類の逆境に強いメンタリティーは、大和民族による建国以来、元寇程度の侵略をはねのけて独立平和を維持してきた島国日本には、元々育ちにくいものだろうか。かって欧米の被植民地として支配された歴史を持つアフリカや南米の多くの国々には、我々には想像を絶する悲惨な歴史を経て独立した愛国心(パトリオット)があって、その思いには想像を絶する強いものがある。思うに民主平和主義の野球と違って、ボールを獲物に見立ててどんどん追っかけてゴールを目指すサッカーと言う格闘技には、そのような歴史を持っている国のメンタリティーがどうも必要な気がする。
それから(特に商業主義に乗せられて)日本選手が外国チームでプレイするのは、その選手自身の技術的向上や経験面では大いにプラスであるが、そのことがJapanのチーム力向上には限界があるように思う。もっとJリーグに所属して度々のアウェイの国際試合に積極的に出かけるのがよい。WCで勝つことを優先して考えたら、個人でなくチームとして世界レベルの経験を沢山踏むことが影響も大きいと考える。そしてその経験を4年に一度のワールドカップに力を発揮すべきである。また逆に、世界の一流選手が日本チームでプレイする環境をJリーグに育てるべきである。つまり日本は今のJリーグのレベルを上げて、豊富な国際試合を沢山経験して実力を上げて行くしかないと僕は考える。ワールドカップ前に召集されて急なチーム作りをしても知れている。特に若手育成には豊富な国際試合経験が大切だろう。申し訳ないが、出場機会も少ない外国クラブチームでの個人的経験を日本に還元することは難しいのではないだろうか。野球では3千本安打の張本氏が、メジャーリーグに行くよりも日本でプレイして自分もチームもひいては全日本が力を付けてほしいというスタンスを崩していないが、サッカーにこそ当てはまるご意見だと僕は思う。
2.日本固有の戦術
先のブラジル大会の覇者ドイツが全7試合で総計840km走ったという分析を後から知って驚きと同時に、日本のサッカーに色々な考えるヒントを与えてくれたように思う。(1試合平均120km、ゴールキーパーを除くと1人平均12km走ったことになる。選手交代もあるが正に陸上選手並みの走力がサッカーの勝利を齎したと言えまいか。そのミドルパスのスピードも抜群に速いとなると、素人にもよく分かる戦術である)2000年前後にドイツサッカーが落ち込んだ時に国をこぞって戦略/戦術の策定に徹したと聞く。詳しくは分からないが、「どこよりも沢山速く走ってミドルパスを送る」という戦術だったらしい。元々技術的には世界一流の国である。戦術効果が優勝に貢献した。低迷期にこそ、自分たちの試合を分析して戦術を練って実行したのである。それでもドイツはWCで優勝する戦略目標達成には1990年の前回優勝以来約25年を要した。日本はドイツの例に学んで、過去の国際試合経験を決して無駄にすることなく、確りした日本固有の戦術を早く考えて実行して欲しい。
3.マスコミに関して
僕には、日本のマスコミが、「Un-willful Offside」(意図的ではないが、知らぬ間に競技の出来ない位置にありながらプレイすること)の位置にいるように思えてならない。マスコミの騒ぎ過ぎにファンは乗せられて敗戦後のショックだけが大きく残る。戦前から国民の関心を煽って応援を促すのは構わないが、大切なことは敗戦した試合後こそ、Japanの将来に向けたフォローをマスコミとしてやることである。熱心なファンは安易な勝利の予測より、敗戦の冷静な分析を聴きたい。勝った時だけ俄(ニワカ)ファン、負けたらヤケ酒軍団になるファンより、次に向けても末永く応援したくなるような継続的な暖かいファン(沢山いるはずだ)をもっと増やして、Japanがもっともっと強くなるべく、質量伴った国民的応援をバックにして国際試合を勝ち抜いてほしい。マスコミが国民には勿論、選手やJFAに与える影響は多大なものがあるので、一時的熱狂に終わることなく継続的且つJapanの実力向上の為の一助となる存在であってほしい。努々商業主義的なアンフェアな行動(贈収賄なんぞは没収試合並みのペナルティー行為である)でスポーツ本来の精神を汚すようなことがあってはいけない。
(2015.06.01記)