はじめに
急に書きたくなった。この「好きなもの…」のコーナーでは、僕が好きなものを自分勝手に、他人様に読まれることを余り気にせずに書きなぐるコーナーなので、易熱易冷の好奇心だけが旺盛な僕は何時でも何でも書けると自惚れていた。それにつけても、そう60歳を越した頃からか、痛く感動して数日そのことが頭から離れないような状態に陥ることが殆ど無くなった。感情の起伏も明らかに少なくなった。哀しいことであるがこれも一種の加齢現象だろうとあまり気にしないでいた矢先、若い時に僕を初めてオペラファンの端くれにしてくれた標題のオペラ「イル・トロヴァトーレ」がNHK-BS放送でオンエアされたのである。しかも今回は名門ザルツブルグ音楽祭、当代人気ソプラノ(A.ネトレプコ)と74歳ベテラン歌手(P.ドミンゴ)の共演、斬新な演出という三拍子揃った公演に再会した。以下音楽に関わる個人的嗜好その他を取り留めなく書かせていただくので、もしご贔屓の歌手を貶すことなどがありましたらどうかご放念いただきたい。
音楽都市ザルツブルグと音楽祭
先ずは「塩の砦」として、古代より岩塩を採掘した場所として因縁浅からぬ地名が付けられたザルツブルグにおける音楽祭の話である。僕はザルツブルグ(以降略してザルツ)に行ったことがあるが、その音楽祭を実際に鑑賞したことが無い。それでも西のミュンヘンと東のウィーンの中間よりやや西よりの地点に位置するザルツブルグの近郊には、モーツアルトの生家、サウンドオブミュージックの館、カラヤンの生家(ザルツ音楽祭の芸術監督を永年務めた帝王と呼ばれた20世紀の指揮者で1989年81歳没)等々音楽に纏わる土地が沢山あって、訪れる先々で所縁の音楽が鳴り響いてくるのである。夜ホテルのベッドに入っても、日中訪れた景色を思い起こしては音楽だけは鳴り止むことがなかった。そのような音楽関連施設が多くて同時に風光明媚な地域の中心地ザルツの街で毎年夏に開かれる音楽祭が「ザルツブルグ夏の音楽祭」である。夏の音楽祭は元々が神童モーツアルト生誕の地であることもあって、彼に関わる記念行事としてスタートしたものだから、毎年必ずモーツアルトの作品が、生誕国オーストリアの名門ウィーンフィル(V.P.O.)が演奏することになっている。例えば生誕250周年の2006年には史上初めてモーツアルトのオペラ全曲(未公開作品も含む)が祝祭上演されたりした。なお復活祭の前後には、同じく近郊で生まれた帝王カラヤンが自ら創立した「ザルツブルグ復活音楽祭」というのが夏の音楽祭とは別に春開催される。こちらは少し規模が小さいが、北の隣国ドイツの名門ベルリンフィル(B.P.O.)が演奏するもので、モーツアルトに拘らない色々な曲目が演奏される。つまり音楽の街ザルツブルグを舞台にして、まさに 「 オーストリアの[V.P.O.] vs ドイツの[B.P.O.] 」世界屈指の2大オーケストラの一騎打ちの様相を呈している。
ところで何処の音楽祭でもその舞台裏には、観光業者や音楽関連ビジネスが絡んでいるものであるが、音楽ファンとしてはザルツに行けばこの世のあらゆるジャンルのクラシック音楽の名演奏が、観光も楽しみなが同時に選り取り見取りの音楽を思う存分楽しめることになる。つまりオーストリア国自体も、所謂“Sight-Hearing”(音楽・観光)を兼ね備えた1等地といえる。僕もロンドン滞在中には小遣いを節約しては、ヨーロッパ各地のオペラハウスを1泊2日のとんぼ返りの小旅行で訪れたものだが、ザルツ音楽祭はチケットの入手が困難(と言うことは高価だということ)ということで、先に書いたが結局3年の間にザルツ音楽祭を堪能する僥倖には1度も恵まれなかった。と言うより庶民にはハードルが高い一種の社交場的な雰囲気があって敬遠したくなるというのが正直な印象である。この他にワグナーの楽劇を集中上演する「バイロイト音楽祭」、ウィンナーワルツの「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」等のヨーロッパで高名な音楽祭にも同様の理由で行く機会がなかった。
それにつけても歌手とオーケストラのみならず所謂「劇」を演じる総合芸術としてのオペラは上演コストが極めて高い。何時もチケット代が僕達庶民には高いハードルになって、ある意味では社交場化している会場に中々行けないのである。お金の価値観ばかりは人其々だろうが、日本から欧米で話題のオペラを観に行くことが如何に大変かと言うことに少しだけ触れる。ザルツブルグ音楽祭のランク2の当日券が大体330EURだが、日本のインターネットで1,056EUR(送料・手数料込で約\150,000)という結構なプレミア価格が付く人気である。しかも予約入手が極めて困難なので、当日ダフ屋相場(事情を知らないが多分あると思われる)だとさらに2~3倍したのではなかろうか。チケット以外に旅費・交通費・宿泊を加算すれば軽く100万円を越してしまう…。もう止めておきましょう。個人的には行くことなんぞ絶対不可能なので、羨ましさを通り越して嫉妬さえ覚える面もあるが、一方で僕には借金してでもザルツ音楽祭に行きたいというファンの気持ちは分からないでもない。ただ特等席で解説付きで繰り返し観られるNHK-BS放送は僕らには大変有難い。
ところでザルツブルグの街を中心にヨーロッパ地図東西南北に拡大して見て行けば直ぐわかるが、北のドイツと南のイタリアがアルプス山脈を挟んでこの地で対峙している。このことは何も地理的や気象的な違いだけに限らず、芸術(特に音楽)の分野でも南北お互いが対照的な特徴を押し出して、このザルツの街で競演していると言える。両者を敢えて言えば「北のドイツが器楽(交響曲や室内楽曲)、南のイタリアが歌唱(オペラ)」の分野において優勢かもしれない。人其々が好みの問題があるだけで、音楽全体では両国引き分けである。なおアルプス山脈をはさんだオペラの両雄国ドイツとイタリアにおいて、大作曲家ワグナーとヴェルディーが同じ1813年に生まれたという奇跡は、2人がその後全世界のオペラの違った大きな流れの各リーダーとして多大な影響を与えたことと考え併せれば、ミューズの仕業としか僕には考えられない。
イル・トロヴァトーレ(1)
そして2014年夏のザルツブルグに、ネトレプコ(ロシア)・ドミンゴ(スペイン)・メーリ(イタリア)等が集まって「イル・トロヴァトーレ」を上演したのである。このオペラはヴェルディー中期のオペラで「リゴレット」と「椿姫」という2つの名作に挟まれていることもあってか、ヴェルディーオペラの中では上演回数が比較的少ない方である。僕のような「イル・トロヴァトーレ」ファンにはその理由が思いつかないが、敢えて言えば世評にも聞く少し難解な脚本(ストーリー)に原因しているのかもしれない。さらばオペラが脚本と音楽を後世変えるわけにいかない中で、唯一変えることができる“演出”を変えることで現代の聴衆が理解しやすくする方法を取ることが可能である。最近世界中のオペラ公演において、舞台を現代に移して大道具や衣装を変えたりする大胆な演出が色々試みられているのは、このような事情があるからだと思われる。今回の「イル・トロヴァトーレ」は、なんと舞台を現代の美術館に設定して、しかも物語の登場人物に相応しい大きな人物画を舞台中に何枚も並べるという大胆な演出を試みた。絵画も好きな人は絵を見ているだけでも楽しめた。音楽でなお一層ストーリーを分かり易く補填するという感じで、まさに「オペラの音楽と舞台装置の絵画」が上手くかみ合った好例として初の試みを高く評価する。過去何十回も観たオペラだが、不変の原作台本にこのような新しい演出を加えて、多少難解な物語をかなり分かり易くして観客に提示してくれた。
イル・トロヴァトーレ(2)
さてそのオペラの進行は、「幼時に生き別れた(生き別れかどうかは最後までペンディング状態)2人の兄弟が、成人後に“伯爵と吟遊詩人”と言う違う身分と同時に、共に1人の美人女官を巡る恋敵同志という関係で再会するも、最後は伯爵の兄が吟遊詩人の弟を殺してしまう」という表ストーリーに従って進む。しかしこのオペラの凄いところは、「ジプシー老婆の復讐劇」という一面を持っていて、あたかもバッハの“通奏低音”のように最後までずっと鳴り響きながら裏ストーリーとして進行するのである。そして最後に裏ストーリーが表ストーリーを炎のように鮮やかに炙り出して幕を閉じる。実はジプシー老婆の最後の叫びがこのオペラのクライマックスなのである。それまで歌、歌、歌に酔いしれている観客も、この場面で「あー、オペラを観てよかった」となるのである。タイトルも終幕を暗示した「ジプシー女の復讐」とでもしたらよいのではないか。
ところで「イル・トロヴァトーレ」を作曲したヴェルディーの中期とは、自らが気に入った台本を練りながら、ゆっくり時間を掛けて曲を付けるという、いわばオペラ作曲者として大家の道を歩み始める頃である。その頃、北のワグナーが楽劇として歌よりも物語を強調して「ニーベルングの指輪」(4日間、約15時間を掛けて上演する舞台祝典劇)に取り組んでいることは、南のヴェルディーの耳には入っており、ライバル双方が十分に意識し合ったことであろう。ダンテがいい例だが「思索的なドイツ人」は、「人生エンジョイ型(食べて・歌って・愛して)のイタリア人」に基本的に憧れを持つ。憧れは相互的に発生するのでその逆もあろう。別言すれば「ドイツ文学の内向気質vsイタリア音楽の外向気質」が実に好対照である。気質や文化は気候の影響を受けることは、南北に長い日本でも同様である。要するにこのような南北論に例外は当然あるものの、一般論的には大きな間違いは無さそうである。それにつけても、このオペラには全編に素晴らしい音楽が詰まっている。コーラスも一緒に歌いたくなるような出来栄えで、観ずとも音楽のみのCDで何度も聴いては楽しめる。
このように世界中のオペラファンが注目したザルツブルグ音楽祭2014の「イル・トロバトーレ」であるが、肝心なのはセレブ価格や前評判等に惑わされないで、当日のオペラそのものの出来具合が問題なので、主に事前の前評判と僕の個人的評価印象を比べて述べる。
数多いるソプラノ世界一の人気を誇るネトレプコに関しては、実は既に2005年ザルツ音楽祭でVerdiの「椿姫」のヴィオレッタを演じた折のBDディスク(Mozart[フィガロの結婚]、Puccini[ボエーム]と併せた3ディスクセット)に残しており僕の手元にあるので、今回は同じVerdi中期作のヴィオレッタ役と聴き比べて面白かった。ザルツブルグ音楽祭に行くことが叶わない僕は、最新のものではないが若い頃からのオーディオ趣味の範囲で揃えた「ヤマハAVアンプ・B&Wのスピーカー5台・大型TV…等」で会場の雰囲気を想像しながらオペラを何時も鑑賞しているが、アンプの音場選択はザルツブルグ祝祭劇場の設定が無いので普段はウィーン国立オペラ劇場を選んで聴くことが多い。(説明によるとウィーン国立の真ん中やや左寄りの席での仮想音場らしい)イソップ寓話の“狐と葡萄”(英語圏では「Sour Grapes」という)ではないが、自宅で愛猫トラを撫でながら寝そべって視聴する安上がりオペラ鑑賞には、ザルツブルグの現地とて味わうことが出来ない「僕の好きなもの…」が沢山詰まった実に良いものである。
2014年ザルツ・オペラの評価
少し横道に逸れすぎた。肝心の今回のオペラの総評を簡単にして終わりにする。先ず総評として、昨今停滞気味の世界各地のオペラ公演の中にあって、歌手にも演出にも指揮者にも斬新的でチャレンジ精神が十分に感じられるオペラの仕上がりであった。つまり音楽祭前の殺し文句3点共に大きく裏切られることが無かった。総合点80点である。
何故なら、「イル・トロヴァトーレ」は好きなオペラだけに若い頃から色々な演出で何回も観ている。特に先述のカラヤンがウィーン国立(1978年)で収録したDVDは傑作中の傑作で、中年になってからオペラを観はじめるようになった切っ掛けとなったものである。オペラの仕上がりとしては、僕はこのDVDに100点満点をつける。
「ザルツのトロヴァトーレ」は少なくともここ1~2年のNHK.BSオペラ番組の中では放映後に繰り返し観たくなるオペラの一つであったので緊急にブログに書く気になったのである。素人評論家が手前勝手な評価をするのであるが、80点を付けられるオペラであった。同じオペラなので比較しやすいだろう、以下項目ごとにカラヤン演出兼指揮版よりマイナス20点の理由を中心に僕の印象を述べる。
(1).A.ネトレプコ(ソプラノ)
今回主役レオノーラ(ルーナ伯爵とマンリーコ吟遊詩人の兄弟から愛される美しい女官)を演じるA.ネトレプコのことを、共演者であるP.ドミンゴ(ルーナ伯爵)が上演前のTVインタビューに答えて、「現在マリア・カラスに一番近い存在」として持ち上げていた。まあM.カラスは没後40年経た今も20世紀最高のソプラノ歌手として「ディーヴァ・アッソールタ(絶対的女神)」とまで呼ばれていることに異論はないが、ネトレプコがカラスに一番近いかと言われると、持ち上げ方も少し過ぎる感が拭えない。世界のソプラノ界にはまだまだ素晴らしい逸材が沢山いる。そしてソプラノ歌手の評価に歌うこと以外の要素(美貌・演技力・品格・劇的性・スター性…枚挙にいとまがないが目に見える部分即ちビジュアル系)も加えたら、100点満点のカラスに比べてネトレプコは80点と言わざるを得ない。歌唱力抜群、声量十分、上手い、ピアニッシモも美しい、でも舞台の見栄えと言われると他に沢山いる程度である。断っておくが僕は現代のソプラノの中でネトレプコが総合的(歌唱力+ビジュアル)に一番好きである。でももっと美しい姿(ビジュアル系)のソプラノを知っている。しかし残念ながら皆ネトレプコより歌唱力がない。現代のオペラ鑑賞はビデオ・TVで観る時代が故にソプラノの評価に歌唱力以外の要素が問われる傾向にある。ネトレプコは美人であることを繰り返して、歌唱力に触れる。彼女の発声は頭声の究極を得ている。これは後天的即ち訓練で得られた。また彼女の発声する部分即ち声帯が異常に大きいようである。これは先天的即ちいい遺伝子DNAを継いだ。今一つは音を鳴らす役目の身体(所謂スピーカー)であるが、これが声帯発全身着で音を鳴らすのである。あの身体が最高級の大型スピーカーであるといえば分かり易い。ご家庭のオーディオシステムを想像してほしい。「アンプは大きな声帯、スピーカーは脂肪が乗った大型身体」なのである。もし彼女が、ビジュアル系では良しとされるスレンダーな8等身ならあのような音は出ない。つまり彼女は仕方なく(かどうかは別として)沢山食べてあの身体を維持していい音を出している。多少ビジュアル系を無視して歌手としてあの豊満な身体(一般的にはセクシーと言うのである)を誇っているに違いない。顔は白系ロシア美人、瞳も大きい、加えて気持ちを表現力豊かに表に出すオペラ歌手向きである。最高!である。それにしてもオールマイティーなカラスは何物ぞ。美人は当然として、歌唱力的には役柄を内面的に深く掘り下げて表現した。椿姫(原題ラ・トラヴィアーダ:道を踏み外した女)の主役ビオレッタは最後痩せ細って死ぬのであるが、カラスには演じられるが、ネトレプコには少し(体重がでないが)重たい役だろう。だからディーヴァ・アッソート(絶対神)といわれるのであろう。世界一のお金持ちオナシスとも結婚したスキャンダラス性もオペラの延長として、さもありなんと当時思ったものである。あーカラスに逢いたい!(朝のごみ置き場に居るなんて言わないでください!)。
(2).P.ドミンゴ
パヴァロッティー、カレーラスと共に3大テノールと一世を風靡したドミンゴは御年74歳である。ザルツ音楽祭の「イル・トロヴァトーレ」後半は降板したらしいが仕方がないことだ。幸いテレビではドミンゴの姿を観ることが出来てハッピーだった。オペラの舞台は最後かもしれない。奇しくも40年前1975年カラヤン指揮の「ドンカルロ」でザルツ音楽祭の舞台を踏んでいるので、ドミンゴは個人的に2015年のザルツには出演したかったのだろう。気持ちはよく分かるが、テレビ録画でも身に付けているマイクが彼の小さな咳払いの音を拾っているのは実に戴けなかった。第1回でクラシック音楽演奏の1回性に掛けると言ったが、テノール歌手(彼はスタートはバリトンだったと聞く)の74歳はピアニストの80歳(ホロヴィッツが初来日時)より身体的負担が大きいのではないだろうか。往年のドミンゴの素晴らしい歌唱に接しているだけに、今回の期待が大きすぎたのかもしれない。しかも、僕が100点評価する「イル・トロヴァトーレ」(カラヤン・ウィーン国立)ではドミンゴは吟遊詩人役マンリーコを張りのあるテノールで歌っていたので、彼自身が今回のルーナ伯爵役(バリトン)でも高音の声が出なかったのは自らが寂しい思いをしたかもしれない。だからザルツは80点なのである。
(3).その他
オペラを構成する重要な柱の一つである演出に関しては既に称賛をしたが、少し難解な物語や台本を補完する要素として、今回のザルツの「イル・トロヴァトーレ」は革新的(絵画と融合した美術館を舞台としたこと)で、観客にも筋を追いやすくしてあった。よく描けた大作の絵画を並べるだけでなく、アリアごとに移動する設備(大道具)も工夫を凝らしてあった。ただ余計な心配かもしれないが、中央に置いてある美術館仕様の椅子の上で歌手がアリアを歌いながら演技する姿をみて、転ばないだろうかとハラハラした。あれでは(椅子の素材がやわらかい足場なので)足を踏ん張ってフォルテッシモを出すのが困難ではないだろうか。大柄の歌手たちが椅子の上で転んだりしたら、良い声が出ないどころか怪我してしまったら大事である。(ファンは色々な心配を勝手にするものである)。