はじめに
日常生活の中には、私たちが信じる「常識」とされるものがある。これらの常識は、社会や文化によって形成され、我々の行動や考え方に大きな影響を与えてきた。しかし現代のようなSNS時代の情報やマスコミの報道の在り方からして、社会で常識として定着しているものに対しては、そのまま鵜吞みにして常識化することに二の足を踏むことがよくある。表面常識の裏に潜んでいる真実が益々分かり辛くなっている時代であることには十二分に留意したい。
つまり人間の脳は一旦情報として固定されたものでしか考えられないという悪い癖があることに気付けば、圧倒的な情報量で出来上がった常識に対して素直にうなづけないものが多々あるものだ。「情報処理」に忙し過ぎるのだろう。自分の感覚で直接仕入れたものが「真の情報」なのだ。
物が分かることと、知ることは全く別物である。
自分の身体性を伴って経験した情報は身に付くものだ。情報処理して知ったことは身に付かないで鼻に付くことが多い。野球選手が自分が練習して身に付けたものは必ず成果に活きる。本を読んで知った知識だけでは野球の技術は向上しない。意識(知る)で頭に叩き込むより、身体感覚で得たもの(わかる)で野球は上手くなる。スポーツはみな同じである。知るだけでは駄目、分かることである。本章では日常の中に潜む真実を探求する思索を楽しみたい。
あーすればこうなるという人間の脳活動(=意識)によって創り上げられた社会を養老孟司は「脳化社会・都市化」と呼んだ。つまり我々ホモサピエンス(賢い人類)が、「脳・意識・都市の世界」の陥穽(落とし穴)にはまって、「身体・感覚・自然の世界」があることを忘却の彼方に追いやってしまったからだろう。しかもその落とし穴は、ITその他の科学技術の進歩に裏付けられた居心地がいい便利な世界なので、都市生活の常識に飼い慣らされた我々には中々脱出することが困難な落とし穴となってしまったようだ。
都市化に慣れた人類は、自然からどんどん遠ざかっていくこと自体が問題なのだ。身体性を伴った感覚で自然の世界からしか得られない心の満足が必ずある。
SNS社会による「情報処理」の拡大は、人間の脳ミソによる意識活動(=脳化社会・都会生活‥)の浸潤を自ずと招く。人生は意識で考えて、「あーすればこうなる」ものではない。だからこそ、自分の感覚を働かせて意識で創り上げた常識の裏に隠れた真実に触れて行動する喜びを一緒に味わってみよう。