21世紀の人間の在り方

はじめに
 2024年のお正月は、「21世紀の人間の在り方」という大きな問い立て(命題)に始まった。というのも、2022年2月に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻、2023年のイスラエル軍のガザ地区攻撃など、和平の目途が立たないばかりか戦争犠牲者や難民が増え続けているニュースが止まないこの2年間であった。
 これは当たり前のことだけど、相手を殺す兵器を造って戦争を繰り返すのは他の生きモノには見られない。高度な頭脳と身勝手な意識を持った人間だけである。この「人間だけ‥」という部分に問い立てに答えるヒントがありそうだ。
それにつけても、元日に能登半島をM7.5の大地震が襲ったことには驚きと同時に寒空の中被災地の方々には心が痛んでならない。一刻も早い復興が待たれる。
長い人類の歴史の中で、地震ばかりは我々人類が予知できない自然災害として受け止めざるを得ないが、一方の戦争はといえば、正に人間が引き起こす「人災」以外の何物でもない。今日もウクライナやパレスチナ、その他の地域で、「人災戦争」で多くの人の命が失われているのである。そして人間の本来あるべき姿に迫ることで「人災戦争」を少しでもなくすことができたらいい。現生人類のホモ・サピエンス(=知恵のある人間)は、目に見える道具作りにも長けているが、目に見えない知恵(Sophia)も持ち合わせているはずだ。
他の生物と一体何が違うというのだろうか。誰も明快な答えをだせない問い立てに窮した僕は、大きな期待をすることなくAI(Chat GPT)にも問いかけた。つまり
「他の生きものと違って、相も変らぬ人災戦争を繰り返す人間っていったい何者なのか?その解明にはどのようなアプローチがあるの?」と質問したのである。その答えを以下にコピペする。無論、人間がAIを使うのであって、AIが人間を使うものでないことを念頭に置いて以降の話は進む。
【人間とは何かと考えるには、哲学、心理学、神経科学、生物学などからさまざまなアプローチがあります。以下に幾つかのアプローチを紹介します。
①.哲学的アプローチ:
哲学は「人間性」について考察する分野であり、人間についての根本的な質       問を追求するものである。人間の本質や存在、自己意識、道徳などに焦点を当てることがあります。
②.心理学的アプローチ:
心理学は、人間の心の機能や行動、感情、思考などを科学的に研究します。心理学者は人間の行動や意識の背後にある心理的なプロセスを解明しようとするものです。
③.社会学的アプローチ:
社会学は人間を社会的な存在として捉え、社会の中での相互作用や組織、文化などに焦点を当てる。人間の行動やアイデンティティは、社会的な環境との相互作用によって形成されると考えられています。
④.宗教的・哲学的宗教的アプローチ
さまざまな宗教や哲学体系は、人間についての根源的な問いに対する信仰や哲学的な立場を提供する。これらはしばしば人間の存在に対する意味や目的に焦点を当てるものです。
⑤.生物学的アプローチ:
生物学は生物の構造と機能に焦点を当て、人間もまた生物であるという視点からアプローチするものである。神経科学では特に、脳と神経系の働きに着目し、行動や認知の生物学的基盤を追求するものです。
上記のこれら5つのアプローチは相互補完的であり、複雑で多面的な質問に対する理解を深めるためには、異なる領域の知識を統合する必要があるでしょう。「人間とは何か?」という問いは、多くの視点から探求され、未だ完全な明快な答えが得られていない部分が多いのです‥】というものであった。

生物学的アプローチ
私には上記の5つの領域の知識を相互補完して統合することなどは不可能であるが、AIらしいお座なり(表層的)な5つのアプローチ方法の中で1点だけには思わず頷けるものがある。他の4点(哲学的・心理学・社会学・宗教的)のアプローチが、人間の大頭脳(=意識)を大上段的に振りかざして、「人間とは何者だ‥」と考える意識が先行するアプローチに対して、最後の5番目の、「生物学的アプローチ」だけは、我々人類も他の生きものと変わらない存在として、周囲の環境や生きものに対して、一種の“謙虚さ”(=傲慢の反対)に溢れたアプローチだと言えるのではないだろうか。そしてこのアプローチの先には、「人間のあるべき姿」が見えて来そうな気がしたのである。
要するに生物学的アプローチは、人間だけが特徴的に持っている脳の働きに注目して、人間の成り立ちを知ることで、戦争を繰り返す愚かさも。便利な道具を生み出す賢さも併せ持った存在としての人間の在り方を問うアプローチを試みることにする。
要するに、「脳と神経(=意識と感覚系)の働きに着目し、行動や認知の生物学的基盤を追求する」アプローチに沿って、今度は自分の頭でもう少し深く考える番であることを示唆しているように思えてきた。
特に、「他の生物と違って、なぜ人間だけが性懲りもなく、お互いに殺し合う戦争を繰り返すのか?」という問い立てに対しては、生物学的アプローチに沿って「人間って何者?」という根源的な問い立てを考察する意義が大いにあるのではないだろうか?
和平の道筋が見えない現実に対して、今人間が陥っている陥穽(落とし穴)の実態がわずかでも見えてきたら十分だ。お互いに殺し合っているのも人間、CO2を排出してGDP拡大に奔走してきたのも人間である。21世紀の今こそ、人間がはまりこんでいる落とし穴の実態も見えてくるに違いない。「人間って何者だ」明快な答えに辿り着けなくとも、手も足も出ない五里霧中の命題でもない。考えるヒントは『同じ生物なのに、人間と他の生きものとの差異』を見つけるところに糸口があると思えてくる。つまり、
『人間が他の動物と違う点は、脳の活動(=意識)の質量に亘る偉大さにある』。人も殺せば人のために自らが犠牲にもなれる。摩訶不思議な行動をするのも、五感で感じて行動を起こす仲介役の「人間の脳ミソ」の仕業である。
つまり「感覚.Input ➡ 脳ミソ ➡ 行動.Output」のサイクル学習を繰り返して、人間は行動するのである。例えば沸かしたお湯に手を入れて熱いと感じて慌てて手を引っ込めるのである。火傷でもしようものなら二度と手を出さない。それが人間である。

これからは多少広範且つ未解明部分が多い論拠に基づくお話しになりそうだが、脳科学者(例えば養老孟司氏)や、生物学者(〃福岡伸一氏)などの、「意識と感覚に関する知見」として、彼らの著書や講演の発言に大変共感するものがありそうだ。最初に現時点での私の結論(らしきもの)を提示しておこう。
我々人類は自然の中の生き物の一部として、頭デッカチの意識だけに頼るのではなく、身体性を伴う感覚を大切にして、持続可能性のある地球を守り抜くことである‥』となる。
話は主に下記の5点に従って進む。
(1).世界観のパダイムシフトと「人間の在り方論」
(2).感覚入力 ⇄ 脳 ⇄ 意識出力
(3).意識(脳化社会/都市化)の浸潤
(4).ビッグヘッドの功罪

(5).人間と自然の立ち位置(21世紀のモラル)