二つの世界観と人間の位置づけ
2024年の年頭に『人間とは何か?』という人間論的問いかけを、脳科学や生物学的アプローチを用いて考察するにあたり、人間が暮らす世界全体を意味付ける見方としての「世界観」について最初に理解しておくことが大切だろう。なぜならば世界観なるものが、人生観より広い範囲を包含し、単なる知的な理解にとどまることなく、より情意的(=感情と意識に関わる)評価を含むものなので、当然人間論的問いかけにも大きな影響を与えるからである。つまり、世界観の変遷によって、人間の在り方も変わってくるのである。
そもそも、18世紀の産業革命期以降21世紀の現在に至るまでの凡そ400年間の世界中が、『人間を機械と見做す機械論的世界観』に大きく支配され続けてきた。人間を機械と見做すことで、個人の人間性を無視したり、社会的存在としての権利等までをも制約して、企業の効率性や競争性を高めることに奔走したたのである。当然DNP拡大策のもと、資本家にも国家統治者にも都合がいい世界観は「機械論的世界観」である。
そのような流れの中で、マルクスが資本家の労働搾取問題をテーマに「資本論」を書いたのも19世紀後半であった。一般国民はといえば、科学技術の進歩が詰まった物質的豊かさを求めて「都市生活(アーバン・ライフ」を求めたが、精神的にはそこか息苦しさを感じる都市生活であった。つまり社会全体が、効率的、競争性を高める一方で、個人れべるでは、人間性や社会性が無視される傾向になって行った。
生物学的知見をベースにした解剖学者の養老孟司は、都市化現象の拡大を、あーすればこうなるという人間の意識に満ちた「脳化社会の浸潤」として危機感を募らせている。意識の及ばない世界としての自然界と遊離していっていることに、我々人類が気付いていないというのである。
別言すれば、物質的に豊かな「都市化」された生活(=「居心地のいい陥穽」)に埋没してきた400年間を「人類の進歩と見紛う」如き考え方が世界を支配し続けて来たと言えるだろう。
つまり人間が物質的に豊かになっても精神的充足感が満ちているとは限らない。逆に窮屈に詰め込まれた都市での生活における複雑な人間関係に疲れて孤独を深めることになったのが現代社会の特徴の一つでもある。
目に見える物質的満足感に満たされた人間が、精神的に枯渇し孤独感を高めたのは当然の帰結だろう。
このように、自然界や人間の存在までも機械や機構のような物理的・化学的なプロセスに従って説明できると考えられた機械論的世界観によって、人類が戦争を繰り返したり、精神的ひずみ(例えばイジメ)によって自殺者が増えてきたこととは、決して無関係ではない。人間が人間の在り方にも大きく影を落とす機械論的世界観と、当然の流れとして刮目され始めている「生命論的世界観」について、もう少し詳しく説明しよう。
Å.機械論的世界観
人間を機械と見なす「機械論的世界観」によって、企業の効率性や競争性を高めてGDP拡大を図った裏で、個人の人間性や社会性が犠牲になった事実を分かりやすく説明する。具体的には以下の5点が指摘されるだろう。
(1)人間性の無視
機械論的な視点では、人間は生産性や効率性を追求するための単なる資源と見なされがちで、個々の人間の感情や価値観、クリエイティブな側面が無視され、機械と同様に予測可能な動作が期待されることがある。
(2)人間関係の希薄化:
このアプローチが強調するのは、単なる業務の遂行に過ぎず、人間関係や協力が希薄化されることがよくある。人々は効率的な労働者としての側面だけでなく、社会的な生き物としての側面も持っているが、これが犠牲にされることがよくある。
(3)労働者の健康への影響:
長時間の労働や過度な仕事へのプレッシャーが、労働者の健康に悪影響を与えやすい。精神的な健康問題やワークライフバランスの悪化が起こりやすくなる。
(4)不平等の拡大:
効率性や競争力の追求が中心となると、報酬や機会の不平等が拡大する可能性がある。一部の企業や個人が極端な富を蓄える一方で、他の人々が不利な状況に置かれることがある。
(5)環境への悪影響:
効率性や成長の追求が、環境に対する悪影響をもたらすことがあります。資源の過剰な消費や環境破壊が進む可能性があり、これが将来の持続可能性(SDGs)に対する脅威となりうる。
機械論的な世界観が企業や経済の効率性を向上させる一方で、これらの側面が人間の豊かな経験や社会的なつながりを犠牲にすることが、社会全体に影響を与える可能性があるだろう。物心バランスのとれたアプローチが求められる中で、個人と社会の側面も考慮に入れた経済モデルの構築が重要である。
『企業の効率性・競争性 ⇄ 人間の社会性・存在意義』は、本来は相反性が指摘されるが、相互の補完性を高められるというのが、筆者の主張である。
その一つが、「生命論的世界観」へのパラダイムシフトである。以下に詳しく述べよう。
B.生命論的世界観
この様な人間を機械と見做す世界観から、「人間 ≠ 機械。生き物としての人間を知る動き」に基づく「生命論的論的世界観への流れ」は、人類の歴史上必然性があるといえよう。
「生命論的世界観」では、人間は生きものであり、自然の一部として捉える。400年の陥穽からの目覚めは、大変オーソドックス(=伝統的且つ穏健)且つ、ユニバーサル(=普遍的)であることに注目したい。この視点からは、一人一人の人間性や社会性が重要視され、単なる生産者や消費者としてではなく、生態系の一部としての責任を持つ存在として理解される。
以下は、生命論的な世界観の特徴とその重要性に関する考え方である。
(1)個々の人間性の尊重:
生命論的な世界観では、各個人の感情、思考、価値観が尊重される。それぞれが独自の経験と意味を持っており、これが尊重されることで、人々はより満足感や充実感を得ることが期待される。
(2)社会的なつながりの強化:
生命論的な視点では、人間は社会的な生きものであり、他者とのつながりが重要視される。共感や協力を基にした社会的な関係が個人の幸福感や生産性に寄与する。
(3)環境への責任:
生命論的な世界観では、自然環境も含めて生態系全体に対する責任が強調される。資源の持続可能な利用や環境の保護が重要視され、これが個人や社会の健康にも繋がる。(本ブログの別稿「21世紀のモラル」参照)
(4)バランスの追求:
生命論的なアプローチは、単なる経済成長や効率性のみならず、個人と社会の繁栄、自然環境の保護のバランスを重視する。これによって、経済の発展が人間と環境の健康に対する維持可能性を保つ方向に進むことが期待される。
生命論的な世界観は、人間を単なる機械的な要素としてではなく、より広いコンテキスト(文脈)で理解されたい。個人と社会の発展を促進するために必要なバランスを提供するものだからである。
筆者は、「生命論的世界観」へのパダイムシフトを、「生命のルネッサンス」として称えたい。