希望という名の人生(Life named Hope)
“希望とは自分が変わること”と言ったのは解剖学者で東京大学名誉教授の養老孟司である。第44代米オバマ大統領も、”Change, Yes we can.”と言って希望の本質が変わることにあることを語り国民も国も変わっていこうと就任演説で呼びかけた。忘れられないスピーチである。思えば私も昨日までの自分と変わって生きていることを実感しては、毎日希望を持って生きていけるというものである。
「希望という名の人生」は、上智大学名誉教授でカトリック・イエズス会司祭でもあられる越前 喜六先生が編著された『希望 -人は必ず救われる-』(教文社刊)の末文に掲載されたものである。私以外に9名の先生方が希望をテーマに書かれているので是非ご一読頂ければ有り難い。この中で永年神と対話して来られて2017年元旦に86歳になられた越前喜六先生は、「最高の希望、それは神と共にある我が家(天国)に帰ることではないだろうか」と記されている。私は退職後初めて先生のお導きで聖書に触れる機会を得て未だ5年に満たないが、(自分の死に際に)間に合うでもなく間に合わないでもなく、肩の力を抜いてこれからも聖書を読み続けていきたいと強く願っている。
1.はじめに
希望に関して最初に思い起こすのが、古代ギリシャ神話の中で人類最初の女性としてゼウスが人間界に送り込んだ“パンドラ”のことである。パンドラとは、「全てを与えられたもの」の意で、例えばアテナからは知恵、アフロディーテからは美しい肉体、アポロンからは音楽…の如く神々からの贈り物を貰って創造された女性のことである。エルメスからは金の壺(所謂パンドラの箱)を与えられ人間界で開けてはならないと厳しく言い渡されたにも拘らず、中身を知りたい自らの好奇心には勝てず、パンドラはその箱を開けてしまったのである。
そもそもパンドラが天界から箱を持って人間界に送り込まれた理由は、ゼウスの人間に対する小さな苛立ちからだった。つまり当初人間はプロメテウスが天界から盗み出した火を賢く活用していたのだが、次第に武器等にも火を利用しては仲間同士の紛争を繰り広げるようになったのである。つまりゼウスは、人間自らが互いの戦争で滅亡しかねない事態を招き始めたことを重く受け止めて、先ずは人間達を懲らしめる目的で色々な厄災を詰め込んだパンドラの箱を神々に造らせたのである。しかし現実に人間が色々な厄災に見舞われて心も暗くなって苦悩する様子を見兼ねたゼウスは、ある深い図らいを持って人間が厄災を乗り越えて進化発展して行けるエネルギーとして“希望”なるものを、箱底にそっと忍ばせたのである。ただ希望は持ちさえすれば、直ぐに厄災を乗り越えられるような魔法とは違う。たとえ希望を持っても、努力を怠ってその実現ができなければ、人類が進化発展することは出来ない。そこでゼウスは元々賢い人間に、努力をすることを前提に希望と言う心を明るくするエネルギーをお与えになったのである。つまり神の人間に対する期待も込められた丁重な思い遣りであると私は感じる。
ところで人間はプロメテウスが齎した火を兵器に使って紛争を繰り返したように、希望もその持ち方次第では人類の進化発展を大いに妨げる事態になり得る可能性を秘めていることにも括目しなければならない。例えば現代の地球温暖化現象や核兵器拡散問題などは、人間が自らの願望が過ぎたり(これを野望と呼ぶ)、欲望の赴くままに行動してきた結果であることを十分に反省する必要がある。野望や欲望の果てに、仲間を傷つけたり無くしたりする嫌なニュースに毎日接する我々である。要するに、ゼウスの思い遣りに応えられるのは、長い時間を掛けて築き上げてきた人間の叡智をもってほかに考えられないのではないだろうか。なにぶんにも神の図らいがゆえに、被創造物の人間にはその真意を分かる筈もないが、人類が厄災を乗り越えながら進化発展していく際のエネルギーとなる“希望”に関して感謝をこめて私なりの小考を加えたい。
さて紀元前700年頃に活躍したギリシャの叙事詩人ヘシオドスはパンドラのことをギリシャ神話として後世に伝えている。先ずパンドラが開けた箱からこの人間界に我先にと出て来たものは、ゼウスの人間に対する苛立ちの表れである厄災群であった。老い・病気・死・嫉妬・怨念・復讐・裏切り…その他諸々とこの世の厄災には枚挙にいとまがないが、地球上の至る所で人間誰でもこの厄災から完全に解放されることが今もって無い。
よく地上の楽園をユートピアと呼んで憧れの理想の地とされるが、ギリシャ語原義では何処にもない場所(ウ・トポス)と言う意味らしい。元々欲深い人間は、理想郷と思しき地に辿り着けたと思いきや、直ぐまた多財餓鬼(沢山の財産を得ても満足できないで更なる欲望に陥ってしまう常に餓鬼状態の人間)となって、果てしない欲望の虜に陥るのである。
思えば古来仏教の世界では、生・老・病・死を“四苦”と呼んで、人間自らの力ではどうにも避けることが出来ない災いを広く“苦”と呼ぶ。この世に生を受けた瞬間から死に至るまで、人間は常にこの苦から逃れられないで生きていかなければならないのが宿命である。また西洋においてもヘシオドスの約2300年程後にイギリスで活躍したシェイクスピアが、戯曲リア王の中で「人は泣きながら生まれてくる」と主人公に言わしめているが、人間の宿命に関して東洋でも西洋でも形を変えて教示していて面白い。我々は古今東西を問わず、この現世の真実を先ず静穏に受け止めることが大切だと思う。そのうえで雑多な厄災に押しつぶされることなく、立ち上がって前に歩き出そうとする人間に対して、全能神ゼウスは希望と言うエールを送ってくれたのである。つまり他の神々の所為とは一味も二味も違う図らいが全能神ゼウスによって人間に施されたのである。
ところで人間は身体と心のバランスを上手く保ちながら生きているわけだが、食物が身体を動かす目に見える燃料ならば、希望は人間の心を明るくする目に見えないもう一つの燃料といえる。どちらも人が生きていくうえで重要不可欠な二大燃料として、新人類20万年の進化発展の歴史を裏で支えてきた。希望は他の生物にはない人間だけが持っているもので、他の動物等と較べてより飛躍的な進化発展を人類に齎した原動力と言える。また食料は異常な自然現象が発したら枯渇することもあるが、希望は心の中で燃え続けるものなので一度持ったら無くなることはない。自分がこうありたいという将来像を描きながら、一人一人が変化を遂げながら今日の全人類の繁栄に陰の貢献をしてきたのである。従ってもし自分で創造したものではなくて、他人の押しつけや単に我欲に囚われただけの希望を持ったら、その実現のための努力は自ずと長続きしないだろう。縦しんば叶えられたとしても直ぐ次の欲望にかられて、永久に心の平安が得られないことになる。
また希望は人間が努力さえすれば叶うというものでもないことは、長い人生で多く経験するところである。“因縁生起”と言われるように、人間は自ら努力することで原因を造れても、縁に恵まれなかったら希望は叶わないのである。
従って希望はその実現だけに拘り続けると、望みが叶わない時の不満足感だけが残る可能性もある。もし望みが叶わない時には、ご縁が無かったと受け止めるのがいい。或いは希望を持つことで心が明るくなるだけでも良かったと考えれば、自分が生き続けて変化成長していることを楽しむことに専念するのも長い人生の中ではいいのではないだろうか。要するに希望が欲望や野望と大きく一線画すのは、持つことで心が明るくなるか否かではないだろか。希望の希には、“少ない・かすか”の意があって、欲や野の字には逆に広がる意があるらしい。だから次々と広がって行く願望は希望とは言わないし、希望の虜という言葉は辞書にはないのである。仏教で知足(足るを知る)を諭す意味がよく理解できる。
さてこのような希望をテーマにして自分の人生をこれから振り返るに当たり、少しの工夫を加えよう。まず人生の流れは四季の流れによく例えられるが、私も人生を春夏秋冬の四季に沿って凡そ20年毎の四つに分けて時系列に書くことにしたい。また元来中国の五行説に基づくと聞くが、四季の変化に富んだ日本ではそれぞれの季節が持つ質感を青・朱・白・玄色の4色に準えて、“青春・朱夏・白秋・玄冬”と呼ぶことがある。私も季節の特徴と色の例えがマッチしているので大変共感するところである。それに従えば私自身が既に人生の玄冬期を迎えており、今はこの時期に相応しい希望を新たに一から考え直したいと願っているところである。体調も不具合が生じ始めてあと残り何年の人生か分からない状態の中で、やはりこれからも明るい心を生涯持ち続けていたいからである。自分しか経験できない人生の主人公として、自分が一番納得する明るい心で幕を下ろしたいものである。先ずは過去の約60年間3つの季節(青春・朱夏・白秋)に抱いた希望を振り返ることにする。
2.青春期の希望
青色は晴れた大空や大海原の色を表す。キリスト教の復活祭に代表されるように、春は動物が生まれたり植物が再生したりして若い生命の息吹が至る所で躍動する季節である。その様子を見ているだけで我々の気持ちも明るくなって、青春期はまさに希望に溢れているといえる。
そもそも人間が生きているということ自体が、今の状態に留まらないで常に進化発展している状態だと言えるので、生きていることは変化すること、変化することは希望を持つこと、希望を持ったら心が明るくなって嬉しくなってくる…という具合に希望のよき連鎖に包まれていく。
私に限らないことであるが、人生初めての学習や経験に富んだ青春時代に抱く希望は、沢山ありすぎて具体的に言葉にはしなくとも毎日変化成長して生きていることそのものと言えそうだ。同じ24時間でも青春期の1日は、玄冬期に比べて極めて短く感じられたのは、私だけではなかっただろう。現代の子供たちは、塾やお稽古事など親が勝手に決めた過密スケジュールに縛られていると聞くが、私たちは自分がやりたいことをするのに忙しかった。人間は自分がやりたいことで過ごす時間ほど短く感じるものである。記憶して頭に詰め込もうと努力をするのではない、学習や体験したことが砂地に撒いた水のように、自ずと心身に吸収されたような気がする。青春期には強力な記憶力が自然とセットされていたようだ。学校生活が楽しくて、先生に下校を促されるまで校庭で野球に興じ、図書館で本を読みふけった。久し振りの同窓会でも、澄ました顔をしていても笑った顔で相手が誰だか思い出すから不思議である。正に「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのだ(アラン)」という言葉が思い起こされる。
また青春時代の希望が生きざまそのものだと言う点では、希望の持ち方にはその時代的な背景が良くも悪くも影響すると言えそうだ。私の場合は俗にいう団塊世代で、昭和30年台に小中学校を過ごした。戦後の高度成長やアジア最初の東京オリンピック開催(昭和39年)などが、国民全体に明るい精神的高揚感が漲っていたことは否めない。皆の目付きも今と何か違うのである。真剣に戦後復興の証を皆で築き上げて、世界に出て行こうという意欲に満ち溢れていたように感じるのである。第二次大戦の敗北からの出直しとして、所謂第二の明治維新みたいなものである。今我々は2020年の東京オリンピックの開催準備の真只中にいるが、最初の開催当時の国民全体にあったような熱気があまりにも伝わってこない。今の日本が成長に陰りが見えて、国民全体を巻き込んだ希望を鮮明に描ききれない状態にあるのかもしれない。戦後日本の復興時代の坂を皆で登って行くような希望に満ち溢れていた私の青春時代が懐かしく思えてならない。
さて本題の私自身の青春期の希望の話に戻ろう。時代は遡るのだが、実は出生時から私は自分の家族からある大いなる希望を託されてこの世に生を受けた話である。
私にとって一番古い記憶の範疇に入るかもしれない。幼稚園児の頃に母から聞いた話として明確に心に刻まれていることがある。つまり私は戦後3年経った昭和23年に長崎の商家に4人兄弟の末っ子として生まれたのだが、兄姉3人と明治生まれの両親合わせた5人全員が昭和20年8月9日に原爆被爆を体験していた。生家は爆心地から4kmほど離れた下町にあったが、当時町内の自衛団長だった父は率先してその晩から爆心地の浦上地区での救援活動に出掛けた。1週間自宅に帰ってこなくて母は随分心配をしたようだ。それでも奇跡的に助かった家族は裏庭に掘った防空壕で数日間の糊口をしのぎながら、兎に角生きていくことだけに必死だったと聞いた。そして街全体にもやっと復興の兆しが見え始めた昭和23年6月私はこの世に生を受けたのである。両親にとっては、商家の復興と食べ盛りの兄姉3人を欠くことなく無事に育てていく目途がやっと立ち始めた頃だろう。末っ子の私自身は戦後の混乱や苦労を何も知らない。それにしても私の誕生を、家族一同が希望の象徴としてさぞや喜んでくれたことだろう。感謝の言葉もない。家族5人は私だけには、戦争の悲惨さを決して体験させまいと心から祈ってくれたと聞く。
その父は被爆から長い闘病生活の末64歳で私が12歳の時に亡くなった。私には父と出掛けて外で遊んだ記憶はほとんどない。そして私が未だ小学生の低学年の頃である。廣と命名してくれた父から、「他人の意見をよく取り入れて思いやりがある心の広い人間になることを願っている」という話を聴いた。父の言葉を子供心に大変厳粛な気分で受け止めたことをよく覚えている。父から聴いたあの日の言葉が今も忘れられない。私の名前に託した父の希望は、今度は私自身の希望となって自分の人生の中で引き継いできた。ただ凡人の私には、何時も100%広い心でいられないまま、これからも持ち続けていく希望となった。
3.朱夏期の希望
人生の第二ステージである夏の季節を色に表わすとしたら、矢張り太陽光の象徴でもある赤色や朱色であろう。春の季節に学んで貯えた知識を活用して愈々社会人として経済的にも自立して行動に移す季節のスタートである。学習期から実期へとバトンタッチする時期である。小学生時に父親を亡くしたにも拘らず、大学卒業するまでの10年の間、母や兄姉たちが言葉に尽くせぬ庇護と支援をしてくれた。そして東京の大学を卒業するまで色々な冒険や学習を私の思う存分に出来たのは、家族と言う安全基地が故郷長崎にあったからだと後世社会人になってから気付いた。今度は社会人になった私が、家族という安全基地を早く持ちたいという気持ちが強かった。私にとって真の自立とは自分が責任を持てる安全基地となる家庭を確り築くことだと考えたからである。社会人になってから5年の歳月を経て幸い2人の娘にも恵まれて、平凡ではあるが4人の平和な家庭を無事持つことができた時は、一つの希望が叶ったと思って心の中の希望と乾杯して正直嬉しかった。そして娘たちが無事に成長して社会人として自立するまでを確り見届けることが、新しく父親となった私の責任であった。実際に当時の一番の楽しみは、家族が元気に成長進化する様子をこの目で確かめる事であった。ただ私が造った家庭は、過保護の誹りを免れえない安全基地ではなかったかと反省している。我が子は中々親が思い描くような子に育たないものだ。それでも人類は長い歴史の中でこのような繰り返しをしながら子孫を残して次世代にバトンタッチしてきただろうし、これからもしていくのであろう。
一方で入社5年間は、世間の現実に殆ど疑問を挟む間もなく一日一生の思いで働いた。そして社会人5年の歳月が経ったある日、会社の先輩諸氏の生き方に数年後の自分の姿を重ね合わせてみた。ところが自分が数年後にこうありたいと望む姿と、現実に予測できる姿との間には、かなりの乖離があることを実感するところとなった。そこには自分の努力だけではどうにも変えようがないサラリーマン人生の現実が横たわっていたのである。結局転職の道を選んだのは、職環境を思い切って変えることで、それまでの私も変えて自分が望む成長変化を新たに遂げたいと願ったのである。私の能力ではサラリーマンと言う大きな傘の下からは抜け出せなかったが、家族も転職に理解を示してくれたのは有難いことであった。
ただその転職時に学んだことは、私に転職を望む気持ちがいくら有っても、自力を超えた部分でご縁というものが無かったら希望は成就しなかったということである。私の場合は、思いがけず大学のゼミ時代の友人との縁が大きな働きをしてくれた。普段は途切れがちであったご縁に心から感謝している。そして転職先として選んだ理由は、私自身が望む10年後の自分像と、その外資系会社が私に求める社員像とを将来一致させるべく自分が努力できる確信したからである。
また朱夏期に入って社会人として働くようになった私は、それまでとは比べ物にならないほど、上下左右と実に多くの人間関係を結びながら忙しい時間を過ごした。やはり毎日があっという間に過ぎたのは、小学生時代の時間の経過とよく似ている。自分で創造した希望が叶うように努力している時は時間が早く経つものである。一方で青春時代には無かった、幅も広く奥行きも深くなった人間関係を最初はストレスに感ずることもあったが、書物で学んだことよりも他人とのコミュニケーションから学んで身に付けたものが、人生ではずっと実践的に役立つことを度々体験した。朱夏期の学習は、座学より実学に依るしかないのである。
そしてあっという間に過ぎた転職15年後の44歳の時ロンドン単身赴任の辞令が出た。単身赴任の社命に従ったのは家族の協力もあったが、単身のハンディキャップを寧ろ自己変革の為のアドバンテージに利用することを考えた。仕事以外の部分で覚えた自炊する喜びは、帰国後も続いて現在に至っている。ところでイギリスで働きたいという願望は元々あった。それは大学卒業前後の二十歳頃から読んだ「坂の上の雲(文春文庫)」が私の希望の源泉となっていた。史実に多少のフィクションを交えて、明治維新以降の日本が欧米列国を手本にして近代国家樹立を目指す様子を描いた司馬遼太郎の近代長編歴史小説である。三百年にわたる江戸時代の泰平の世から目覚めてできた明治国家は、坂道の遥か向こうに棚引く雲を欧米の近代列強諸国に見立て、その雲に届かんとして国を挙げて努力したという物語である。作者は学校の歴史で学んだ書上の知識を、人間描写に主体をおいた歴史小説という手段で見事に私の眼前に展開してくれた。特に外資系会社に転職後の私を大変刺激するものであった。そして私にとっては、メイフラワー号の移住以降アメリカはじめ世界中で多くの植民地を有したイギリスが、歴史的にも文化的にも世界中の英語圏グループの頂点に立つ伝統国家として、正に坂の上の雲のような存在となった。転職先をイギリスに本社がある会社を選んだ理由の一つでもある。こうして私は44歳の時に新たな希望を抱いて、人生の白秋期へと突入していくのである。
4.白秋期の希望
秋が被っている冠の色である白色は、心に感じる特定の色や形を描く前の状態で、いい意味で自分自身の希望で何色にも染められる可能性を秘めている色といえる。また何も描かれていない状態の白色自体は、平等・平和・祝福・純粋など理想的にバランスのとれた真新な心の状態を象徴するものでもある。一方で、テレビのブラウン管上の白色がそうであるように人間の目に白く見えるためには、赤・緑・青の全く違う3つの光を適切な比率で混合すれば表現できる色だという。このように元は全く違うこの光の3原色それぞれの強度を変えて重ね合わせれば、ほぼ全ての色を如何様にも再現できると聞く。例えば赤と緑の光だけを重ねると黄色に、緑と青だけだと空色になるという。人間のその日の気分は、まるでこの3色の重ね具合で日々違って表れてくるようで面白い。
逆に人間は心の3色のバランスを良く保って白色の状態で中々いられないということでもある。私も人並みに、ある日は赤く尖がった日もあれば青く憂鬱な日もあるが、望むべくは普段から心の色のバランスをなるべく均等に保って白色の心の状態で居たいものである。心が白色の状態で人の話を聴ければ、きっと父の遺言でもある広い心を持つことができるのであろう。このような白色のイメージは日本の秋から感じる季節感にも似ていて、人生の半ば過ぎに自分の生き方を見つめ直すのに相応しい白秋期だと言える。
ところで人生の中年期に差し掛かる44歳からの3年間を日本から一万キロも離れた異文化圏で単身生活をしたことは、時間に換算したら長い人生の5%にも満たない実に短い期間であるが、一方でその後のものの考え方や仕事に与えた影響たるや大変大きいものがある。小学生の頃初めて集団生活を体験する少年の如く、毎日が初体験のことばかりで自分が大きな変化成長を遂げるのに絶好な機会を人生半ばに持つことができたのである。私にとっては、自分が変わりながら明るい心で生きて行くという希望を叶える絶好の機会でもあった。また心身ともにバランスよく健康に暮らすことができて、駐在期間中一度もドクターのお世話にならないで元気に暮らすことができた。人間は肉体と心のバランスを保ってこそ元気に生きていけることを人生半ばに異国で実感するところとなった。
この様に私の白秋期は44歳に始まるわけだが、3年間の駐在が契機となって私自身が自分を変えようと願って関心を持ち始めたことが大きく二点あった。第一点は私にこれほど大きな影響を与えてくれた異文化圏の人達の精神的支柱に関すること。第二点は日本人の自分とは一体どのような存在なのかということである。前者に関しては、私が暮らしたヨーローパ文化圏の人達が元々キリスト教との深い関わりを持って歴史を刻んできたと言っていいだろうが、大きな文脈でみればキリスト教の思想の根本にある愛(アガペー)の原理や、神の存在と意志を受け入れるというところに共通の思想があるように思う。それが長い歴史を経てキリスト者たちの人生観を生み、社会的システムにも繋がっていっているように考えたのである。このような意味での異文圏に住む人たちの精神的支柱であるキリスト教について深く知りたくなったのである。それは世界史や哲学にも絡んだキリスト教的世界観についてある程度は知っておくことは、現地でビジネスをやる上でも当然最低限必要なことでもあった。このようにして私は44歳時に生れて初めてキリスト教に興味を抱くようになったのであるが、実際にその学習時間が十分に持てたのは、帰国後20年程経て会社勤めも辞してからである。そして玄冬期に入った現在も、間に合うでもなく間に合わないでもなく聖書を読み始めたり、キリスト教に関する書籍を読む機会が最近多くなって来たのである。
また二番目の関心に関しては、最初は現地法人の私へのリクエストに応えることから始まった。つまり彼らは日本への本格的進出を元々目論んでいたのであるが、正直その割には日本人に関する理解は私の想像以上に少なかった。日本に関する誤解も少なくないと感じられたので、毎週月曜日に2時間を日本知るための勉強会に時間を割くことになったのである。私は彼等への説明の準備を週末行ったが、海外に住んだ私自身が改めて日本を観なおす絶好の機会を得たのである。つまり彼らの精神的支柱であるキリスト教を理解することと、その海外からある距離をおいて日本国や日本人、更には私自身を観察することが交叉して、自分の人生の過程において大変意義深い3年間の経験であった。生きた教材に囲まれた私は、やはり座学より実学を通してを学ぶことが多かった。人生生きていること自体が、日々学習なのだろう。
(駐在期間に日英を比較して感じたことを帰国後に「日英の懸隔 *1」として異文化の話としてまとめた)
そして遅蒔きながら自分の存在を見直したくなったのは、このような白秋期最初の体験の延長上に必然性をもって芽生えてきたといっていいだろう。例えば自分の仕事においても、朱夏期までは如何に人間は行動すべきか(How to do)ということを常に優先していたのが、白秋期に入った私は、人間如何に存在すべきか(How to be)ということを最初に考えるようになったのである。勿論自分の存在がどのようなものか一生掛けても答えが出るものではない。またあまりに自分の存在を深く問い詰めると、特に私などは間違いなく自分自身が嫌になってくるのではないだろうか。人間とは何ぞやという難しい命題に取り組みたい気持ちは程々に持ちながら、凡人はその真理を明らめることが出来ないと諦らめて死んでいくものなのだろう。そう思うことで随分気が楽になるものである。
総じて私の場合は、白秋期に初めて外から内へ気を配るようになった。昔読んだサンテグジュペリの星の王子様で、彼が主人公に言わせしめているように、「目に見えるもの(外面)より、目に見えないもの(内面)に人生の真実が隠されている」ことに気付くようになったといえる。名作は読み返すたびに、新たな感動を持つことが出来るものである。人間は内面の在り方が大切であると言う点に限って言えば、白秋期は来たるべき内面重視の玄冬期への準備期間であると位置づけられまいか。
それは人間にとって過去より今やこれからの将来が大切であって、過去は今生きているための貯えだと考えて、先ず今を全力で生きたいものである。過去の貯えの内、目に見える金銭物品食料は無くなる可能性があるが、希望もそうであるように目に見えない精神的遺産は何度活用しても無くならないどころか、使えば使うほど玄色の黒い光りを放って益々輝くものである。
5.玄冬期の希望
さて希望に纏わるお話は、人生の最終コーナーである玄冬期にバトンを渡そう。私の場合は、63歳に勤めを一切引退した時が玄冬期のスタートであった。白秋まで毎日変化成長して生きていること自体が“希望”そのものだと主張してきたが、玄冬期も変化をし続けて昨日より今日は少しでも進化している私でありたい。
ここまで過ごしてきた三つの季節を簡潔に、“春は再生、夏は行動、秋は実り”と表現すれば、“冬は心”と言えるのではないだろうか。残された人生の時間は誰も知ることは出来ないが、この時期はどうしても活動的というよりも内省的にならざるを得ない。それは人生において必至の三苦、“老・病・死”に特段備えるということではなく、普段から人それぞれに三苦の受け止め方に思いを巡らすのは、殊のほか有意義なことだと感じる時があるものである。
勿論やり残したことはまだまだ沢山あるので死までの時間は少しでも長くあって欲しいが、さりとて天命に従うまでである。そして玄冬期にも自分が変わり続ける希望というのは、正直目に見える部分の成長ではなく、目に見えない部分の心の成熟なのだろう。人間は秋の実りを十分に味わい尽くしたら冬は心の成熟に専心するがいい。ワインも秋に収穫したブドウを、時間を掛けて静かに樽の中で熟成させたらよいワインが出来るのである。
要は思い通りに行かないのが人生であるが、終わりよければすべてよしという。ハッピーエンドとはお金を沢山残して終わることではなく、自分の心が幸せな状態で人生を終わることである。
そもそも玄冬期の玄の色は、単なる黒色とは違う奥深い重厚な輝きのある黒色である。例えば絵の具の各色を混ぜ合わすと黒色に近くなるそうである。例えば漆塗りの黒色を見つめていると、下地に季節の3色である青色も朱色も白色も塗ってあるかのごとく黒光りする玄色を感じるようなものである。私の冬の季節も過去3つの季節の約60年間の経験を積み重ねてきた集大成の玄冬でありたい。四季4区間のリレーに例えれば、玄冬は人生最後のコーナーを曲がってゴールを目指す最終区である。ゆっくりしか歩めないが、締める鉢巻きの色には玄色が一番相応しいのではないだろうか。
そう言えば日常に紛れて、今まで歩んできた道を振り返ることさえ忘れている昨今である。自分だけの心の中にしまってある60年余のアーカイブズ(保管場所)の目録を一度ゆっくり眺めてから、玄冬の道を歩み始めるべきであろう。希望を抱いて雪道を歩んでいく上での道案内として役に立ちそうなもの四点を思いつくまま選んで以下ご紹介したい。
6.玄冬期の道案内
(1).ニーバーの静穏の祈り
私がアメリカの自由主義神学者であるR.ニーバーを知ったのは、還暦祝いに戴いた本の一部分に紹介されてあったものを、3年後の退職時にふと思い出して偶然に本を開いた時であった。このように彼の祈りの言葉(静穏の祈り)との出会いは、私が必死に求めるというのではなく、何かの働きで導かれるようにして出会った不思議なものである。退職時の私の心に大変響いた言葉で、玄冬期の道案内の一つとなりそうである。
私は2011年末63歳時に会社勤務を一切辞めて玄冬期に入るわけであるが、同年3月11日に東日本大震災に見舞われた。地震と津波という自然災害の前には人間が如何に無力な存在であるかを心底思い知らされた年であった。静穏の祈りは、人生の難局に陥った時に立ち上がろうとする人に向けて宗教学者ニーバーが掛けた言葉だと伝えられている。実際に震災被害者でもない私が言うのは大変おこがましい話であるが、もし自分がどうしようもない人生の難局に陥って、それでも立ち上がって歩み出し始める時に、この静穏の祈りを口にして手を合わせたら、少しは希望の光が見えて気が楽になって救われるような気がしたのが正直な気持ちである。現実に玄冬期の最初にニーバーの祈りを知って、私には希望の匂いを感じとることが出来た。
さてニーバーの祈りは3つのキーワードで構成された御祈りである。以下に紹介するのは私自身の会社勤めの経験に基づいて勝手に自分流に解釈したものである。この御祈りが時空を超えて世界中誰の心にも普遍性を持って勇気や希望を与えてくれていることは否めない。そのキーワードは“静穏・智慧・勇気”である。私は短い英語を諳んじて、自分が置かれた人生折々その時の状況に応じて、この御祈りを繰り返すことが多い。
1). 人生には色々な難局が訪れるが、先ず現実をそのまま静穏に受け止めよう。
2). 難局の中には自分の力で変えられる部分と変えられない部分があるので、経験して貯え
てきた知識や智慧でこの両者を自分で見分けてみよう。
3). そして変えられると思う部分を自分で変えていく勇気を持って出来る努力から始めよ
う。その勇気こそが希望が持っている力である。
それまでの私は企業人として、一見変えられないと思われる部分に対しても何とか変えてみようとチャレンジすることを一つのモットーとしていた。現実を変える勇気が企業を発展させるからである。今思えば随分と向う見ずの行動もあったように思う。特に朱夏期には若い体力が、私の無理を背中から後押しした。また企業人としては置かれた環境を逆に特徴ある資源と受け止めて、その活用を試みたりもした。しかしながら玄冬期を迎えた私は、抵抗し難い現実(老・病・死)と直面するようになってくるのである。つまり最近は自分の力で変えられる部分の見極めが段々と小さくなっていって、まあ仕方がないと諦める部分が多くなってきたことも否めない。結局玄冬期の私にはニーバーの祈りは左記のようにかわる。
「神よ自らを変える勇気(希望)と避けられない苦を受け入れる静穏な心を与えたまえ」。
(2).青い鳥再考
人間が希望を持っていることは取りも直さず生きていることであり、逆に生きているから希望を持つのである。私は最初に定義したように、「希望は心を明るくするエネルギー」であることを信じて疑わない。つまり人間が希望を持つのは、心を明るくして生きていることが幸せだと思うからである。
地球上の人それぞれに70億種類の幸せがあっていいのだが、実際に古今東西の思想家、文学者、神学者家たちは、人間が乞い願う究極のテーマである幸せについて数多の著作を残している。私はその中で「青い鳥」(M・メーテルリンク作)を取り上げて希望について考えたい。個人的な話で恐縮であるが、私自身は小学校3年生の学芸会で青い鳥を探しに行くチルチル役で、人生最初で最後の主役舞台を踏んだ懐かしい思い出がある。図書館で読んだ原作はノーベル賞作家が書いた童話劇で、小さい子供にこの作品の人生や幸せに関する奥深さを理解できていたわけがない。簡単にあら筋を紹介すれば、樵の兄妹が魔法使いの御婆さんから、孫を救うために青い鳥が必要だから探して来てほしいと頼まれて二人は方々に探しに出掛ける。一度持ち帰った青い鳥が青色で無くなったり、死んでしまったりして結局見つけて帰れない。ところが空しく家に帰ってよく室内を見たら元々家で飼っていた黒色の鳥が実は青色の鳥だったのである。御婆さんにあげて目出度し目出度しというわけだが、肝心のその青い鳥はといえば籠から逃げて何も居なくなってしまうと言うものだ。
学芸会の小劇の指導者でもある担任の先生には、「廣君、幸せというものは自分には気付かないが案外身近に転がっているものだ。もし幸運にしてそのような幸せに巡り合うことがあったら、必ず逃がさないように大切にしなさい…」というような主旨の解説を加えて貰ったのである。パンドラの箱のギリシャ神話同様に、読み手によって幾多の解釈が成り立つがゆえに世界中で読み継がれた名作の名作たる由縁であろう。私にとっては、道徳科目的な教訓として9歳の子供には大変納得のいく話で、大人になっても大切に心にしまっておいた作品であった。60年近くも昔に小学生の学芸会で出会ったメーテルリンクの「青い鳥」を、本稿の執筆を機に今回改めてもう一度自分自身で見直してみた。当時教えて貰った担任の解釈は決して間違いではないと思った。それでも今日の私には青い鳥そのものがかなり違った形で心に響くのである。60年の経験を経て青い鳥や幸せとかを観なおせば、新たな輝きを放って心に訴えてきたのである。50年後の人生の玄冬期に入った私の青い鳥に関する解釈はこうである。
幸せとは…
1). 向こうから簡単にはやって来ないし見つけ出そうとしても中々見つからない。
2). 他人から言われるのではなく今までの経験を基にして自分で創造するものである。
3). 自分で創造したり実感した幸せは、裏切ったり逃げて行ったりしないで長く自分の傍に
居てくれる。
青い鳥を希望と置き換えてみたい。
他人から頼まれて苦労して探した青い鳥は意外にも足元に居たが直ぐまた逃げて行ったのであるが、まるで人間の一生を示しているようではないか。でも玄冬期の私としては、心を明るくしてくれる青い鳥には死ぬその間際まで一緒に居たいものだ。つまり青い鳥はまさに“希望”そのものである。そして自分で創造して納得する幸せに包まれて、死を静穏に受け止めたいものである。
さてここまで書いて、皆さんはもう気付かれたのではないだろうか。今度は本稿の冒頭に引用した「パンドラの箱」のことである。蓋を開けたら地上界にあらゆる厄災が飛び出してきたというゼウスが人間界に寄越したあの箱である。厄災が飛び出した後の箱の片隅に最後まで残されていたのが“希望”だという。そしてパンドラの箱に残された“希望”と、メーテルリンクの青い鳥が示唆する“幸せ”とがピタリと私の心の中で重なり合うのである。私には全能神ゼウスが人間に示唆したものを、メーテルリンクは幸せの青い鳥に託して童話劇に仕上げたとさえ思えてくる。希望も幸せも黙してそっと鎮座しているだけで、まさに自分の力で創造してこちらから求めなければ存在さえしないもののようだ。偶々向こうからやって来る“幸せ擬き”を喜べる機会は人生よくあることかもしれないが、自分で創る希望の実現でなかったら青い鳥のように、直ぐまた逃げてしまうことをこの物語は警告してくれている。
そして小さい頃に知ったギリシャ神話のパンドラの箱の物語の寓意に関してヘシオドスは勿論何も示唆していない。神の計らいとは単なる贈り物とは違う。人間自らの弛まぬ努力を必要とするもので、それは人間全体の進化発展に通じるものである。進化発展することは人類共通の希望でもある。希望は人間自らが創りだすもの、そして自分で障害を乗り越えて努力をすれば希望は必ず叶うものである。人間はかっては夢だと諦めていた、空を飛んだり宇宙までにも行ける時代になった。一人一人が失敗を繰り返しながらも小さな努力を積み重ねたから現実になったのである。希望とは人間自らが変わりながら新しいものを創造する努力をすることである。そうすれば後世になってでも希望が叶う時が必ず来るのである。
(3).人間の創造性について
このようにニーバーの言葉や青い鳥が私たちに投げかけているメッセージは、自らが変わりながら新しいものを創造する世界に一つしかない希望を心に刻むことの大切さを訴えているものである。その際人間が希望を持って自分に変革を加えながら進化していく上で最も大切なことは、自分で新しいものを創り上げるという創造力を持ち続けることだと言えそうである。正直この年齢になって記憶力にも自信が無くなり、希望への意欲も薄れがちになっていく自覚を覚える今日この頃であるが、玄冬期の気持ちが少し明るくなるニュースを聴いたのでここで是非ご紹介したい。脳科学の観点から創造性に関して述べている。
人間はどんな天才と言われている人でも、自分が全く体験していないことをベースにして新しいものを創造することは、思いつきも含めて不可能なことであるらしい。逆に言えば創造力の源としての知識や智慧や体験を自分のアーカイブ(保管庫)として上手に脳の側頭葉と言われる部分に蓄えたら、次にはそれを引っ張り出す力が問題となる。その力は、自分があのようになりたい、このようなものを創りたいという言う各人の意欲そのもので、脳の前頭葉と言われる部分に強弱をもって存在するらしいのである。つまり自分だけの創造性を発揮できるのは、過去の知識や体験のアーカイブと自分が変わりたいという希望の強弱即ち意欲を掛け合わせたものだと脳科学者達は結論付けるのである。
これはアーカイブの量を若い頃のように急激に増やせない私には大変な励ましになる科学者の言葉である。私達玄冬期の人間は、年の功ではないが多くのアーカイブを持っているはずである。問題は希望(自ら変わりたいという意欲)の強弱次第で、創造性を発揮できるか否かが決まると言われれば、自己を変革したいという希望の意欲が強い老人こそが最強老人と言えそうである。
(4). 希望と努力
希望を持ったらその実現には多少の努力が必要なことは当然のことである。多少と書いたのは勿論例外もあるが、自分自身で心に刻んだ希望だったら、周囲の人からは信じられないほどの努力を自然と出来るものである。一方で世間一般に誰もが望む希望だったら、青い鳥ではないが、捕まえたと思っても直ぐ逃げてしまう。努力にも熱が入りにくいものに成ってしまいがちである。少し逆説的に変換して言えば、「努力をする人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」と言えそうである。希望自体には元々強弱は無いけど、大切なことは、何が何でも自分がそうありたいと願う希望だったら、自ずと努力にも身が入って結果実現することが多いということである。一度しかない自分だけの人生だから、人それぞれ自分が納得する人生を歩めばよいわけだが、希望を語っていれば不思議と努力する気持ちになり、不満ばかり言っていると不思議と怠けるようになることを、自他に限らず自身の人生で実感するものである。難局に陥って希望も持てず閉塞状態だと嘆くのは、自分の周りに壁があって外に出られないのではなくて、自分を変えようとしないことに他ならないと私は感じる。
そしてストレスが原因で心身の病気になってしまったら本末転倒の話であるが、人間はストレスに向かいあって努力を重ねているうちに、別のストレスにも強い人間に生まれ変われるものである。希望がパンドラの箱の隅に置いてあったのは、強い希望を持った人間には同時に努力が出来る能力をお与えになって、人類の進化発展の大きな原動力となり得るという期待をされたのではないだろうか。全能神ゼウスから人間に対する丁重な贈り物が希望である。受け手側の人間には、努力をして希望を実現する義務が当然あるはずだ。
7.さいごに
希望に関して、凡そ20年間毎の私の人生に準えて振り返ってきた。現在68歳の私は最後の玄冬の季節を歩み始めたばかりであるが、これからも過去の季節と同じように自分が変化成長しながら生きていくという希望の本質を心に刻んで天命に従って生きていきたい。
我々は生まれてくる赤ちゃんや小さな子供に出会うたびに、何か心が明るくなって希望の光を誰でも感じるものである。これは彼らがこれからきっと変化成長を重ねて人類の進化発展に貢献してくれることを願って自然と微笑みを交わしていることに気付いたのである。
ところで「希望の本質は自分が変わること」だと言うことは、子供たちに微笑む話ばかりではない。実は2009年オバマ米大統領の就任演説から私は希望の本質を喚起されたのである。彼はアメリカ合衆国のリーダーとして、アメリカの抱える課題が多い現状を、これから自分が変えると宣言すると同時に、国民に対しては、変わろう!我々は出来る。(Change! We can.)と叫んで、国民自らが変わって一緒に前へ進むことを求めたのである。確かに希望を叶えるには先ず自分が変わらなければ何も出来ない。彼は自らが前例を変えて、現役の米大統領として初めて被爆地を訪れて核兵器を地球上から無くしていく宣言をした。そして核兵器が拡散しかねない現実にストップをかける勇気を一緒に持とうと訴えたのである。自分にも何が出来るか考えて彼の大統領を辞した後の行動に大いに期待するところである。
またガンジーも、かってインドがイギリスの植民地から独立する時の英語のスピーチで、国民に変化を求めて独立の希望の光を多くの人に投げかけた。英語のチェンジと言う言葉が希望の本質を表わしていることを指摘したい。人間の肉体は当然変化しながら生命を繋いでいるが、それは幸せになりたいと心で望んで自らが変化して生きていることに他ならない。私も死ぬまで自分が変わり続けていたいものである。
私は本稿を「希望と言う名の人生」と題した。W.ワイラー監督の“欲望と言う名の電車”を喚起された方もおいでだろう。確かに、人生は欲望に満ちた人間が満員電車に乗り合わせて生きているようなものである。私は動物でも持てる欲望は当然のこととして、神から与えられた人間だけにしか持てない希望を抱いて心を明るくして生きて行くのが人生だという思いからこのタイトルにした。
*1「日英の懸隔」は、「月刊ドラッグマガジン」(1998年5月号から2000年12月号)に32ヶ月連載された。