(1).はじめに(科学的事実の紹介)
最初に持論を展開する根拠としている科学的事実データを読者と共有したい。
出典は「札幌医科大学医学部附属フロンティア医学研究所ゲノム医科学部門」で休日を厭わない情報更新に衷心より感謝を申し上げたい。本データの数字は日本のコロナ対応のみならずウイルス感染を通して21世紀の人類の在り方までをも問いかけるのに大変有益な情報を提供してくれている。
(https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death)
先ずは「これまでの情報」と言う部分をクリックして、過去2年間の「COVID-19死亡者累計数」を各国別に比較した棒グラフにご注目いただきたい。多くの無症状者が含まれているコロナ感染者数(正確には検査陽性者数)とは違って、「死亡者数」は国籍を問わず人間の死と言う何にも代えがたい重みを持って嘘をつかない数字だからである。つまり「COVID-19のリスク管理的対応」の観点から言えば、『コロナ死亡者と経済・社会活動への被害を極少化スル』というのがリスク管理の最終目的であって、検査陽性者数の増減という現象に一喜一憂するという局面的な「危機管理」に偏重した日本のコロナ対応に大きな問題がある。
無論感染症の特徴として、たった一人の感染者が社会全体に及ぼす影響を懸念するわけだが、それとてコロナが国民生活(=生命の維持はじめ経済社会活動の総和)全体に与えるマイナス影響を時間の経過とともに大局的に判断してコロナ対応の諸施策を講じるのが一国の首相の責任である。その大局的な判断材料となるのが冒頭のデータである。
本データのポイントを具体的に説明すれば、発生来2年以上経ったCOVID-19による累計死亡者総数(2021年末)は、全世界で533万人、米国で80万人超、日本で1.8万人である(冬期流行3シーズンにまたがるコロナ累計死亡者数の1.8万人と言うのは、例年のインフルエンザ3か年合計より少ない。つまりこの間のインフルエンザによる死亡者数を殆どゼロに抑え込んでいるコロナ健康被害に何故これほどまでに国を挙げて騒ぐのか私には全く理解しがたい)。ウイルスの感染力と致死毒性とは全く別物である。
さて人口の多寡を考慮した人口100万人当りのコロナ死亡者数で国際比較すれば、日本の累計死亡者数(145人/100万人)は、全世界平均の1/5、米国(2,428人/100万人)の1/17と極めて少ない歴然たる事実がそこにある。しかもこの国別ごとの相対関係の傾向は、発生以来終始一貫して2年間変わらず、終始コロナ死亡者数が少ない。
所謂『コロナ難感染国日本』の国際的優位性は変わらない。別言すれば自粛という欧米同様の施策を繰り返しても、『コロナ死亡者数と経済・社会活動の抑制を極少化スル』というリスク管理の目的達成にはほど遠い状態である。国民が自粛生活に疲弊するだけで、国益(=生命の維持はじめ経済/社会活動のΣ総和)を損ない続けているのが日本である。
感染当初から冒頭の類(即ち日本人のコロナ感染者や死亡者が欧米諸国人より極端に少ないという実証データ)を積極的に公開して、その原因(=Factor-X)を科学的に検証してさえいたら、日本のコロナ対応は国益棄損をもっと極少化できる中長期的思考の「リスク管理」に基づいたコロナ諸施策が実行できたはずである。
本データが無言のうちに語るポイントは大きく下記3点に纏められよう。
①.人口100万人当りのコロナ死亡者累計数は欧米諸国の凡そ1/15(最近は1/16)ということから、「日本は世界に冠たるコロナ難感染・死亡国家の一つ」という国際的優位性がある。☜累計データより
②.他国と比較した①の国際比較傾向が、発生以来2年間終始一貫変わらないことから、「自粛や蔓延防止法を連発してワクチンの再接種(ブースティング:boosting接種)を拡大する日本のコロナ対応の有効性に疑問を投げかけざるを得ない」。☜データの経時変化より
③.5波にわたる感染数急増毎に、致死率(=死亡者数/感染者数)の方は逆に急減していることから「日本人の集団免疫構築度合い」を無言に訴え続けている。☜感染増と死亡増は逆相関
これは素人の個人的見解ではあるが、
『日本人のFactorXとは、「日本固有の土着ウイルスに歴史的に鍛えあげられた免役・抗体の自然所有性と今回のコロナ感染拡大による集団免疫の漸次獲得』と言えそうだ。
補足すれば中国発ウイルスへの自然免疫保持は地理的条件と歴史的交流に拠るものとするのが私には一番自然且つ理解しやすい。
要するに本データは、感染者数と死亡者数の間に横たわっている世界に類を見ない日本人固有の『免疫・抗体』、そして国民全体の免疫集積成果として感染予防上最強手段の『集団免疫』、さらには地球に暮らす我々人類がウイルス感染から逃れられないという『受け入れ得るリスク』(Acceptable Risk)…等について本データは雄弁に語っている。情報公開の後進性が日本のコロナ対応を取り返しのつかないものに陥れた。
(2).情報公開が遅れた理由(人災コロナ禍の主因)
前章(1)では無症状者を含む感染者数の増減への危機管理的なコロナ対応(=緊急事態宣言と自粛/蔓延防止法を繰り返す対応)一辺倒で失った国益(=生命の維持をはじめ社会・経済活動など平常の 国民生活のΣ総和=リスク管理の最終目的)の損傷が計り知れないことを述べた。
幸運にも日本人が中国発コロナウイルスに対する免役に恵まれていた例は21世紀初頭2002年のSARS(原因ウイルス名:SARS-CoV-1)に辿ることができる。則ち世界中を死亡率の高さで恐怖に陥れたSARSであるが、日本人の感染は1人も認められなかった。約20年後の今回のSARS-CoV-2が足掛け3年にまたがる20,000名以下のコロナ死亡者数であることも含めて「日本人は中国発ウイルス由来感染症に特別な免疫を有している」と推測して間違いなかろう。日本人は不幸にも感染症学アプローチ一辺倒の政府・専門部会のコロナ対応に恵まれなかった国民だといえよう。私が日本は「健康被害そのものよりも人災的被害が大きいコロナ禍」という所以である。発生後6か月経った2020年半ばには、「感染予防と経済/社会活動の両立策」に舵を切れたG7中唯一の国だったと私は考えている。
つまり今なおCOVID-19が欧米諸国(G6)においては歴史的大火に間違いないが、G7の一国である日本では、(慢性疾患を患う高齢者を中心に18,000名余の尊い命を奪ったものの平年のインフルエンザ死亡者数を大きく下回る意味では)ボヤ火事と言っても過言ではないだろう。ボヤ火事には高層階大火事向けのはしご車は不要である。機動性が悪くて返って使いモノにならない。必要以上の局面的危機管理に徹するより、国益と言う大局的な観点に照らし合わせてリスク管理を丁寧に施すべきであった。「コロナ難感染国家」という国際的優位性(Advantage)を無にした。(ワクチン・ブースティングというワクチン再接種拡大策も含む)欧米追従型のコロナ対応一辺倒になぜ陥ったのか、その最大要因である「情報公開が遅れた理由や背景」を本章で説明する。
ただし日本に限らず災害発生時の人間社会ではどこでも起こり得る人災である。災害を必要以上に騒ぎ立て自分の立場や地位を守らんとする利己的行動が底辺にあることだから、今後何度も繰り返すのが人間の業というものだろうか。
(2-1).「指定感染症第2類・コロナ」の塩漬け
それにつけても情報公開の遅れに行政サイドの作為が強く働いていたとするならば、日本のコロナ禍はまさに健康被害そのものよりも人災による部分が大きい「人災コロナ禍」であることにいい加減気付くはずだ。
情報封鎖の作為性を感じるのは、日本のコロナ禍が欧米諸国並みでなければ為政者たる政府や専門部会が困る事情がそこに存在しているわけで、私はその背景理由の第一点として、「指定感染症第2類・コロナ」という感染症法を見直すことなく塩漬け状態にしている厚労省の姿勢に問題がある。症状の有無に拘らず検査陽性者全員を指定された要領で隔離拘束するもので、入院が真に必要な患者に処置対応できない医療崩壊になりかねない。
3年のシーズンにまたがる死亡者数が19,000名足らずのCOVID-19という疾病は、例年のインフルエンザ死亡者数が10,000名(超過死亡概念)であることと比較しても恐怖心だけを煽る実態にそぐわないコロナの第2類分類だと言える。
【超過死亡概念☞自分が罹患している慢性疾患が悪化して死亡されたというもので、100歳のご老人が検査陽性者ならば全てコロナ死亡とカウントされる。慢性疾患と感染の2つをあわせた死亡率のことを超過死亡概念といい、WHOが提唱している。インフルエンザの超過死亡概念カウントは毎年約1万人程度と厚生労働省では発表している】
政府はコロナが指定感染症第2類であるという一種の「仮想現実社会」を2020年1月に作り上げている。仮想現実社会には「コロナ難感染国家」の情報は確かに邪魔な公開したくない情報に違いない。つまり国民にはタテ(=足元日本のインフルエンザ並み被害実態)とヨコ(外国と比較して難感染国日本の姿)を観ることを遮断する“遮眼帯”を填めさせて情報公開を遅らせた罪は重たい。ただ国内外の感染実態を冷静に比較検証して感染実態と大きくかけ離れた感染症分類を適宜変更(=恐怖の2類から例年のインフルエンザ並みの5類への変更)すればいい話である。プライドに拘って分類変更しない政府のスタンスが人災被害の拡大を生んだ。インフルエンザと同じく第5類に分類変更すれば(例年のインフルエンザ治療で経験しているようにどこの医療機関でも受信出来るので)医療崩壊問題など起きるはずもないはずだ。医療崩壊は感染者数が増えるから起こるものではなく、無症状を含む感染者に第2類感染法に基づいた処置を機械的に施すからである。
(2―2).過剰な財政支援
第二点は、その医療崩壊を叫ぶ医療機関はじめ政府の財政的支援対応を待ち望む業界が多々生じたことである。国民目線でいえば自粛の交換条件として生活保障たる一人当たり全員に一律10万円を配った。何しろ「百年の一度の危機対応(財務省主計局談)」として政府は戦後最大の財政支援に最初から動いた。支援を受けんとする不正請求も多々あったと聞く。有体に言えば、政府のコロナ対応で儲かった人と職業迄失って経済的に苦しむ人の2極分化が国民間に生じたことも否めない事実である。自粛補償としてのこのような税金を戻す考え方に違和感を禁じえない。休業を要請される交換条件のような補償を受けるより「感染予防と経済活動の両立策」下に置かれて経済/社会活動を続けることを大多数の国民は歓迎したはずだ。
(3).日本のコロナ対応の決着の付け方
冒頭の科学的Factデータの経時変化③から「集団免疫獲得」がワクチン接種拡大に依るものでなく日本人固有の免疫・抗体の存在が基本であることは明らかである。そしてこの結論を最終的に裏付けるのが実は、2021年末から世界中を騒がせている「オミクロン株の感染急拡大」だと私は考える。つまり感染者数が急増しても逆に致死率が限りなくゼロになることが「日本人の集団免疫獲得」を実証しているので、漸く日本のコロナ対応の決着点が見えてきたことを予見する。つまりウイルスを遠ざける自粛・蔓延防止法に頼るこれまでの欧米追従型のコロナ対応と確り決別することである。人類はウイルスと共存する生物の一つである。
そして、ウイルス感染者はゼロにならなくてもっと大きな感染波も起こり得るという、“Acceptable Risk”(人類として受け入れ得るリスク)を地球に棲む生物の一つとして覚悟することである。
コロナ致死率が限りなくゼロに近づいた2022年春先の日本のコロナ対応の決着点は、
『自粛・ワクチン接種拡大とそろそろ決別して、生来身体に宿す免役を鍛えながら(boosting immunity)、感染予防と経済/社会活動の両立を遂行すること』である。
(4)第一話まとめ
ここまでは日本政府のコロナ対応に総じて厳しい論評になったかもしれない。
何故ならば国は国益(=生命の維持はじめ経済/社会活動…等の総和)の棄損を極少化するというリスク管理の究極的な目的の最終責任を負うからである。一方国民一人一人は自分自身が命を失う可能性がある感染症への感染(正確には検査陽性反応)を強く懸念し感染予防に徹するのは当然のことなので、政府のコロナ対応へ視点を絞った私の論調には肯んじえない面が多々あったことと思う。
最後に申し上げたいのは、野党ならずとも大多数の国民が主張する「ゼロ・コロナ。感染から国民を守れ」とは真逆に、「ウイズ・コロナ。感染予防と社会/経済活動の両立」を私は端から主張するからである。特に「第2類指定感染症コロナ」(=大火事)という仮想現実を構築しては検査陽性者数の抑制に腐心する政府のスタンスには、意図的情報公開の遅れと共に厳しく異議を唱えたものである。例年のインフルエンザ(=ボヤ火事)の犠牲者より遥かに少ないコロナ犠牲者にも拘わらず、国中が歴史的な自粛大騒乱に巻き込まれるのには施策の無効性ととともに今なお納得がいかないのである。
そして年末からのオミクロン株感染拡大にも拘わらず逆に致死率がゼロに近づいた1月に至って、私は「集団免疫の確立」を確信して第四話の3章で日本のコロナ対応の決着の付け方として、改めて『感染予防と経済/社会活動の両立』を提案した。つまりこのステージでの蔓延防止法の施行は、折角構築した集団免役の棄損とさらなる家庭内感染拡大、そして多くの社会問題の発生を助長するだけの時代に逆行するものである。今は(ワクチンよりも効果性・持続性・安全性に優れた)既得免疫を積極的に強化してリスクを過大に見積もっている「仮想現実社会」から一刻も早く脱出することが国益のさらなる棄損を防げる。
年末からの第6波オミクロン感染急拡大で決定的になった「2年間に亘る感染者数の急増と致死率の低下傾向」が意味することについて、専門家から国民への説明を望むところである。しかるに、国会ではブースティンboosting接種(3回目のワクチン接種)の遅れ問題や、専門部会/テレビの的外れなコロナ対応解説を聞いていても一向に埒が明かない。さらば、ウイルスが我々に投げかけているメッセージから日本のコロナ対応の反省とウイルスを介して21世紀の人類の在り方について論を進めていきたい。