(02).都市化の落とし穴(養老孟司氏の主張)

養老孟司氏の主張
私は普段、千葉県習志野市津田沼という場所に建つ年間を通して室温コントロールされたマンションに逃げ込んで35年間以上定住生活している。畑を耕したこともなければ山に登ったこともない、生まれが長崎なので何となく海(と言っても東京湾)に近いところを選んだ。生活の大半を街の中(というか家の中)で過ごしている。ただ去年の夏、数少ない外出時に75歳の身体は即熱中症と相成った。初めて「自然破壊が大変なことになっていること」を自分の身体感覚で感じた。地球は温暖化ではなく沸騰化している。自然との距離が遠いので、どうも自分ごととして危機感を覚えられずにいたのである。
そんな折、養老孟司が、「都市化するということは自然を排除するということ。脳で考えたものを具体的に形にしたものが都市。自然はその反対側に位置しています」の言葉を遅まきながら実感した。彼の定義にならうと、自然とは「脳で考えたものを具体的に形にしたもの」以外のものということになる。人間が意識的につくったものではないもの、それが自然であると‥。
さらば、私自身もそして自然であるということを、福岡伸一氏の寄稿と合わせて実感したのである。人によって寿命年齢には多少の差があるものの、致死率100%の自然の中の生きもの、それが人間である。
養老はさらに、(都市に住む人が自然を排除しようとするのは)感覚を通して世界を受け入れない。意味を持った情報を通して世界を理解すると述べている。だから脳ミソが異常に発達した人類は、意味のないもの、分からないものを徹底排除しようとするのである。自然に意味なんてないとして、都市に人工の公園を造っている。都市の公園はそのような意味を持たせた人工物であると。これを読んだとき、「まさに自分はこの状態だな」と感じました。

冒頭書いたように、都市に住む私はほとんど誰かの「脳で考えた」「意味を持った」人工物に浸りきった日々を送っている。それが快適なので、わざわざ海や山に行こうと思わない。ただ、「このままでいいのかな」という気持ちは年金生活に入ってなんとなく感じていた。その違和感を、養老さんによって言語化されたような気持ちになりました。
養老さんの定義では私自身も自然物のはずですが、どんどん自分自身が都市化され、自分の中から「意味のないもの」がなくなりつつある気がする。つまり、「自分の中での自然破壊」が起こっている……そのことに対する違和感なのだとわかったのである。冷や水を被った思いである。
このとき、違和感や何となくの不安感が危機感に変わったのである。それは、2023年の猛暑を自分の身体的感覚によって体験したからである。SDGsに関する書籍を読んだ座学ではない、自分の感覚で「このままでは地球が危ない」と実感したのである。自然破壊を、初めて自分ごととして感じられた気がした。それは、自分もまた「自然」の一部であること、そしてこの真実を意識の中から失いつつあることに遅まきながら気づいたからである。
(養老氏の主張は「養老十話」で詳しく述べる)
都市化した私たちは、どうしたら自分の中に感覚としての「自然」を取り戻せるのか。その答えは、どうしたら海や山や川で起こっている環境問題を自分ごととして捉えられるかにも、つながっていくものだろう。