はじめに
ここまで、紋別港の「ガリンコⅢ号による流氷体験(ビデオ)」を最初に観て頂いて、「人知の及ばないAwe.畏怖体験」、さらには生物学者の福岡伸一が唱える「一番身近な自然は自分の身体である」という真実(動的平衡論)を21世紀の人類が意外と認識していない話を経由してきた。
最後になるが、本稿のタイトル「私の自然観」を脳科学者の養老孟司氏の主張も紹介しながら自然観の話としたい。さらに人間と自然との立ち位置、則ち「21世紀の新しいモラル」(モラル:人が現実社会において守るべきとされれる規範)にも話が及ぶ。
人間としての自然観(都市化で忘れられたもの)
都市化が進むにつれて私たちは自然から遠ざかりつつある。都市化では、人間の意識(脳機能)で創り上げた効率性や利便性を優先する「機械論的世界観」が幅を効かす。人間を生きものの一つとして考える「生命論的世界観」の正反対である。
高層ビルが林立し、車の排気ガスや工場からの排出物が空気を汚染し、コンクリートのジャングルが広がる都市では、自然とのつながりが薄れていくのも当然のことだろう。その結果、私たちは自然の恵みを軽視し、畏敬の念も忘れてしまった現代人としての危機に直面しているのである。
自然は私たちの生活に欠かせない恩恵を提供している。空気や水、食物などの生きる上で必要不可欠な要素はすべて自然から得られているにも拘わらず、都市生活の忙しさや便益に埋もれてしまい、そのありがたみを忘れがちになっている。水道水が当たり前のように出てくるし、スーパーでは季節を問わず様々な食材が手に入るのに、それらの源は自然にあることを忘れてはならない。
0.2mmの受精卵が60kgの大人の身体になるのは、田んぼ、畑、海の恵みを摂取して成人の身体になるのである。若い人、加えてその親もそれに気づかずに、田んぼや海は自分と違う独立したものだと思っている。だから自然の一部の存在としての人間(生命論的世界)であることを考えたこともないのではないだろうか。
私の自然観は、【一番身近な自然は人間の身体】であることに尽きる。
自然は私たちに精神的な安らぎや癒しをもたらしてくれていることも、意識(頭)でなく感覚(五感)で捉えた実感そのものである。都市の喧騒やストレスから離れ、自然の中で静かに過ごすことで心身のリフレッシュに繋がるのは、自然の自分の身体であるこちょから当然の理(ことわり)である。
森林浴や海辺の散歩、山登りなど、自然と触れ合うことで私たちは日々の疲れを癒し、心の平穏を取り戻すことができのである。しかし、都市生活では忙しさに追われ、そのような贅沢な時間を取ることすら難しいと感じることも少なくない。
さらに、自然は私たちに多くの教訓を与えてくれている。季節の移り変わりや生命の循環、自然災害など、自然の摂理は私たちに生命の尊さや脆さを教えてくれる。しかし、その教訓もまた都市の喧騒に埋もれ、見過ごされがちです。自然の力を畏敬し、その恵みに感謝する心を持つことは、私たちが持つべき大切な姿勢(=モラル)の一つであると言える。
したがって、私たちは自然とのつながりを大切にし、その恵みを軽視せずに畏敬の念を持つことが重要です。自然と調和した暮らし方を心がけ、都市の中でも自然との触れ合いを求める努力をすることが必要です。公園での散歩や植物の育成、自然保護活動への参加など、さまざまな方法で自然との関わりを深めることができる。そして、自然の恵みを受けながら、その尊さを改めて認識し、持続可能な未来のために努力することが、私たちの行動基準(モラル)の基軸に在るべきであることは「自然の一部の我々人間」は考えるのである。
自然は私たちの生命の源であり、私たちの生活に豊かさと意味を与えてくれます。その恵みを軽視し、畏敬の念を忘れることは許されない。私たちは自然との調和を取り戻し、その尊さを再認識することでしか、より豊かな人生を築くことができないと断言して本稿を閉じる。