はじめに
ここまでは、(2)の「.自然と都市の特性比較表」から、総論(3)として両者の特性を、『右脳的自然と左脳的都市』とまとめた。
そこで本節(4)では、もう少し幅広い13の視点から、自然と都市の特性を比較検討する。このような過程には、絶対的な解があるわけではないが、歴史的な変遷を辿って傾向をみれば、人類は右脳的な自然から遊離しながら、急速に左脳的都市社会に傾いていっていることが分かる。そして我々は、この左脳的都市社会の浸潤を人類の進歩として賞賛あるいは誤解しているのである。
本来は、自然と都市の特性を巧妙に融合した「中庸の道」を歩めばよかったのだが、効率的且つ利便性に富む「左脳的な都市の特性」に偏重してきたことが原因となって、21世紀の「環境問題」が生じた。GDP拡大主義もその一つといえよう。人類は、効率性や利便性を高めた都市化現象を「人類の進歩として誤解してきては、人類が快適過ぎる都市生活社会の陥穽(落とし穴)に嵌っていった。その結果「環境問題」がブーメランの如く地球上に拡がっていった。以下の特性分析からも、「都市化に潜む人類の罠」が浮かび上がってくるだろう。
GDP拡大の旗を一度降ろして、COP国際会議やUNが提案するSDGs(持続可能性のある開発目標)に真剣に取り組まねばならない。一刻も早く快適すぎる眠りから目を覚まして、地球温暖化物質CO2の削減に真剣に取り組まなければ持続可能性のある地球とそこに住む人類の未来はないといっても過言ではないだろう。
13の視点による事の重大さには差があるものではないが、人間が自然に対して傲慢なスタンスを知らずのうちに取っては、所謂『頭デッカチ』になっている傾向に警鐘を鳴らすことにしたい。要するに「人間の感覚に依る自然と意識に依る都市」ということである。
(01).自然への関心が高まってきた時期 .
自然への関心が21世紀に入って深まってきた背景には、先に述べた「地球規模の環境問題の勃発」がある。産業革命以来20世紀までは、自然が効率的且つ利便性が高い都市化傾向の犠牲になってきた。つまり化石燃料(石炭・石油)を過度に費消し、工場/住宅建設等で都市化地域を拡大した。養老流に言えば、「脳化・都市化現象が自然界に浸潤し続けている」となる。自然への配慮をすることなく無制限に自然界へ踏み込んでいった結果は、温室効果ガスを排出して環境を汚染するばかりか、自然界の生態系をも破壊することにも繋がった。これらの自然界への人類の土足進入は、各国の経済優先の動きの裏に隠れていたわけだが、自然の豊かさを壊した結果、食料危機や地球の沸騰化現象を誘引することになった。私見であるが、経済的ニーズに基づく過度の自然界への接近は、本来自然界に棲むウイルスの人類への感染を招き、世界中で死者数600万人超という健康被害をもたらしたとも言える。ソーシャルディスタンスを保つということは、自然の恵みへの配慮を示すのではなかろうか。
(02).主たる認知/認識手段
「自然の恵みは人間の感覚で感じ、都市は人間の意識で成り立っている」といえる。自然と都市の対比を通して、人間の経験や認識が環境や社会のあり方に与える影響を指摘するものである。すなわち。
・自然の恵みは人間の感覚で感じる: 自然は私たちに美しさ、安らぎ、驚きなどの感情をもたらします。山の風景、海の波音、森の静けさなどが、私たちの五感を通じて感じられるもので、自然の美しさや恩恵が人間の感覚に深い影響を与えることを示唆している。
・都市は人間の意識で成り立っている: 一方で、都市は建築物、交通機関、社会構造などが複雑に組み合わさり、人間の活動や意識によって成り立っています。都市は文化や経済の中心地であり、人間の社会が形成され、発展していく場所で、都市の存在や機能が人間の意識と深く結びついているといえる。
「自然の恵みは人間の感覚で感じ、都市は人間の意識で成り立っている」という表現は、自然と都市が対照的であると同時に、人間の感覚や意識が環境や文化に与える影響に焦点を当てています。自然と都市はどちらも私たちの生活において重要な要素であり、その関係性を通じて私たちの生活や価値観が形成されていることを忘れてはならない。人間は自然と都市の特性巧みに取り入れて生活環境を確保することである。
(03).両者の世界観とそれぞれの主張
二つの世界観とは、機械論的世界観と生命論的世界観である。摂著「21世紀のモラル」に詳しく述べているが、「人間=機械とする世界観」から、単純明快な「人間=自然の一部としての生きもの」とする世界観が漸く注目されるようになった。
(04).得られる満足感
自然から得られる満足感は目に見えない精神的なものである。都市生活から得られる満足感は目に見える物質的な満足感である。
(05).適用される思考法
自然界ではアナログ的思考法しか通用しないのに対して、都市社会ではデジタル的思考法に基づくといえよう。
もう少し「アナログとデジタル」の説明を加えれば、アナログ的思考法では、連続的に、情報やアイデアが滑らかに流れる特徴がある。つまり、柔軟性が高く、複雑な情報や概念を統合しやすい。また柔軟性が高くて直感と経験に基づくので、直感や経験に基づいた感覚的な理解を重視する。抽象的で非線形なプロセスを一般的に辿るので自然界にていようされるのである。正に自然は右脳的な存在なのである。
一方デジタル的思考法は、離散的であり、情報やデータを切り分け、論理的な手順に基づいて分析することになる。要は具体的なステップや手順が重要なのである。 データ駆動のアプローチであり、数値やデータに基づいて問題を分析し、解決策を導き出すことが重要となる。これは正に、都市社会は左脳的思考の上に成り立っているのである。
つまり、
・「自然=アナログ的思考法=連続性・柔軟性=直観と経験に基づく世界」
・「都市=デジタル的思考法=離散性・論理性=データによる分析の重視世界」となる
要するに、どちらかに偏重することによる危機感を感じるのは筆者ばかりではあるまい。状況や課題によって柔軟且つ適切に使い分けることである。
(06).その本質
前項の結論から敢えて申せば、自然の本質としては「平和・包容的」、都市の本質には「排他・競争的」なものがあるように筆者は感じる。
(7).得られる価値
(02)や(06)で指摘したように、自然の価値は“五感”で体感して、都市の価値は意識に基づく“効率性・利便性”を追求した都市社会においてその価値を創造が実感できることになる。
(08).自然離れの危機感
人間は居心地の良い都市の住まいに慣れ過ぎると、自然環境の中で暮らすことを敬遠しがちである。このような自然離れが人類に与える影響は如何なものか少し考えてみよう。ここでは主に負の影響を中心に考察する。
・生活の質変化
自然から離れることで自然の中で得られる癒しやリラックスの効果が減少します。自 然との触れ合いが少なくなることで、ストレスの蓄積やメンタルヘルスの問題が発生しやすくなるだろう。
・環境への負荷
都市の発展に伴い、人々が集中して住むことで都市のインフラやエネルギーの需要が急増する。これにより、自然環境への影響も拡大し、都市の拡張が森林伐採や生態系の破壊を引き起こし、生態系のバランスが乱れる可能性がでてくる。
・持続可能性への挑戦
自然離れが進むと、環境への配慮や持続可能な生活に対する意識が低下する可能性があります。持続可能な開発や環境保護のための行動が怠られると、将来の世代に対する影響が深刻化する可能性があります。
・生態系の保全
自然離れが進むと、人々が自然との関わりを失いがちです。これにより、生態系への理解が減少し、結果として生態系の保全や生物多様性の維持が難しくなります。人間が生態系に与える影響を理解し、それに対処するためには、自然との接触が不可欠です。
・社会の分断感
自然との疎遠が進むと、人々の間で共感や共有の要素が減少し、社会全体での結束感が低下する可能性がある。逆に自然との共有体験は、共通の価値観や文化を築く一助となることに貢献するのではないだろうか。自然との接触は、人間の“創造力”をかき立てる。これら自然離れは、都市生活の快適さと便益を享受しつつも、自然との繋がりを大切にして地蔵可能なライフスタイルを追求することが大切ではないだろうか。
(09).意識が及ばない自然界と意識/欲望の関与が強い都市
今回は「黒部ダム」を訪問して、「自然と人間の立ち位置」を考えるきっかけになったが、一般的には、人間が自然を完全にコントロールできると考えることは驕りや傲慢と言えよう。自然は複雑で相互に絡み合ったシステムであり、人間の理解や技術が及ぶ範囲を超える側面を多々持っている。人間が自然を完全に支配し、予測し、コントロールすることは難しいとされている。
過去において、人間は自然の力に対抗し、環境を変えてきた。(ダム建設もその一例だろう)。しかし、その過程で当然のことながら生態系の破壊や気候変動などの問題が引き起こされることもあったはずだ。人間が自然に対して謙虚であり、持続可能な方法で共存することが必須である。
一部の人が自然を支配しようとする考えは、環境への悪影響や予測不可能な結果をもたらす可能性があるため、慎重に考える必要がある。持続可能な開発や環境保護の視点から、人間は自然の一部であり、その一環として調和して生きることが重要であると考える。これが正に(03)で述べた、21世紀に刮目されつつある「生命論的世界観」の立場である。
総じて、自然を謙虚な態度で尊重し、調和のとれた関係を築くことが、環境への貢献や持続可能な未来への道に繋がることになるだろう。
(10).ピュシスとロゴスについて
自然と都市の特性を論じる上で、どうしても触れなければならない概念/言葉がある。「ピュシスとロゴス」である。小難しく述べるつもりは毛頭ない。むしろピュシスとロゴスの言葉を使って、「自然と都市」(都市=人為としてもかまわない)を対比して考察するうえで分かりやすいので説明を加えさせていただく。そもそも筆者がピュシスとロゴスの言葉を知って本稿を書くうえで大変参考とさせていただいのは、「xxxxx」の生物学者福岡伸一氏の寄稿記事を読んだからである。読者も是非ご一読されることをお勧めする。
ピュシス(Physis)とロゴス(Logos)は、古代ギリシャ哲学における概念で、自然と言葉や理性に関するものである。
①.ピュシス(Physis)
・ピュシスは「自然」や「生命の原理」と訳される。
・古代ギリシャ哲学者、特にプレソクラテス学派が重要視した概念であり、万物の根源や本質とされた。
・ピュシスは、自然の中に流れる無限の力や法則、生命が生まれ育つ原動力を指す。
自然の法則やパターン、周期性など、人間の制御を超えるものが含まれます。
・ピュシスには自然が持つ生命力や成長、変化の原則が含まれており、人間社会や個々の存在がこれに従って生きるべきだとする立場がある。
②.ロゴス(Logos)
・ロゴスは「理性」や「言葉」などと訳さる。
・古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスや後のストア派、中期および新プラトン主義の哲学者たちによって重要視された。
・ロゴスは言葉や理性だけでなく、宇宙や世界の秩序や統一的な原理を指す。
・ロゴスには、理性的な思考や言葉による表現だけでなく、宇宙や自然の秩序に内在する普遍的な原理や法則を包括する概念が含まる。
・ソクラテス以後の哲学者たちが、ロゴスを通じて真理や知識を追求し、世界の秩序を理解しようとしました。
これらの概念は、自然と人間の理性、言葉、秩序に関する古代ギリシャ哲学の基本的なアイディアを表しています。ピュシスとロゴスは、自然界と人間社会、個々の存在において、異なる側面を強調しながらも、緊密に結びついた概念であり、哲学的な議論や探求において重要な役割を果たしている。
要するに「自然と都市の特性比較」をして、21世紀の人類の在り方を問ううえで避けて通れない概念であることがお分かりいただけたであろうか。
(11) .経済活動の影響
経済活動(=GDP:国内総生産)の拡大が、環境・都市部・生態系に対してさまざまな影響をもたらす。以下に、その主な影響をいくつか示す。プラスの影響もあるが、総じて自然環境への影響が大きく人類の被害が拡大するものばかりである。
・環境への影響
GDP重視の経済モデルは、「資源の過剰利用」を引き起こす。つまり自然資源の消費が増加すると、森林伐採、鉱山採掘、水の乱用などが増加し、生態系への悪影響が生じます。
また人は都市部に集まり産業活動や交通の拡大により、「大気汚染が増加し温暖化が進む」ことは科学的知見に基づいて国際的な共通認識である。つまり気候変動、極端な気象イベント、海面上昇などの現象が頻発している。特に地球温暖化物質のCO2の排出量を国際的に強調して削減する動きがパリ協定やCOP会議で削減目標値が論じられるが、人類が経済活動を優先している限りその道のりは遠い。
・都市部への影響
GDPの追求が都市部の急速な発展を促進することになり、「過密な都市化」が進む可能性がある。つまり、交通渋滞、住宅不足、環境汚染、公共サービスの圧力が増大することになる。
また GDPが重視されると、経済的な成長がある一部のセクターや人々に焦点が当てられがちです。これにより、「社会的不平等」が拡大する可能性があり、都市部での低所得者や弱者の生活が困難になることがあります。
・生態系への影響
経済の成長が優先されると、自然環境が犠牲にされることに繋がるのである。これは「生態系の破壊や生物多様性の減少」を引き起こす。
また工業化や農業の拡大が進むと、水資源の需要が増加し、「水資源の枯渇」が当然生じてくる。これは地域の生態系や農業に対する脅威となっている。
これらの問題は、環境の持続可能性や社会的な公正を考慮しない経済成長モデルに起因している。持続可能な開発目標や緑の経済政策など、より総合的で持続可能なアプローチが求められていることまでは理解できるが、その具体策となると色々な要素が複雑に絡んできて、これをやれば解決するというような単純なものではないことを指摘しておきたい。
(12).エネルギー費消の観点から
前節で述べたように「自然と都市」の特性を比較検討することは、経済活動との関連という点で、エネルギー費消の問題が総合的に論じなければならないことが分かってくる。既述の説明と重複するので詳しくは割愛するが、都市における活動は創造的活動なので増エネ、自然界においては想像力を増して同時に少エネである。「気候変動による不可逆的な影響に対処する」こと、別言すれば「エネルギー消費と生産の倫理的バランスを保つ」(COP28より)ことがこれからの課題である。
世界の気温は2023年に世界各地で過去最高を記録し、今後5年間で新記録を更新し続けると科学的根拠を持って示唆されている。地球沸騰化という表現は、地球温暖化の不安を通り越して正に“恐怖”に近い。
」(COP28)が基本である。
(13).予測する手段
総じて言えることは、統計確立に基づくIT予測は、過去のデータに頼って未来を予測する強力なツールであるが、複雑な自然界のシステムにおいては、経験に基づく偶有性の予測も必要であり、両者を組み合わせてより信頼性の高い予測が可能となるはずだ。
一般的に地球の気象は多くの要因に影響され、数学的モデルによる予測は限定されている。一部の現象はカオス的であり、微小な変化が予測の大きな違いを生むことがある。こうしたた複雑系においては、経験や観察に基づく手法が必要であり、数学的なモデリングだけでは十分な予測が難しい場合があるようだ。
ただ都市社会においてはIT予測は有効であり、例えば交通流の予測、市場の需要予測、犯罪の発生予測などに応用される。AIの出番でもある。ただし、この手法は過去のデータに依存しており、未知の出来事や新しいパターンに対する適応性には限界がある。
(個人的には、自分の命をAI運転に100%預けて飲み食いしながら手放し運転はしたくないものである)
地球の気象は多くの要因に影響され、数学的モデルによる予測は限定されているかもしれないが、地震などの自然災害に対しては、ある覚悟を持って「出たとこ勝負」するしかないものの、自業自得的な「地球沸騰化」には、人類全体が手を組んで真剣に取り組むべき時が2023だといえよう。
(補説 ).戦争と左脳思考
戦争の原因も多岐にわたり、ヘゲモニー争い、国家間の意見対立、経済的利益、宗教や文化の違いなど様々だ。しかし、先に指摘したように、左脳的思考が関与している面は大いにあると確信している。
左脳的な思考は、論理的、分析的、線形的な思考を特徴とすることは既にもべたが、
これは、問題を細分化して取り扱い、直線的な解決策を追求する傾向があることは否めない。これが国家間の対立や意見の違いなどにおいて、我々が自分たちの立場を強固にし、他者の視点を無視する結果を生む可能性があると考えられる。このような対立思考は、勝者と敗者を生む加増現実世界のゲームの如く、究極的には戦争へと繋がる可能性があるといえよう。
無論右脳的な思考の線上に戦争はないとは言わないが、全体像を俯瞰し、共感や共有を重視する考え方は、相手の視点を理解し、コンフリクトを避けるような共存の道を見つける可能性を大いに秘めてるといえよう。そのため、左脳的な思考だけでなく、右脳的な思考をより取り入れることで、より協調的、包括的な社会を作り上げることが可能になるといえよう。これは、今後の社会の進展において重要な視点となることを確信している。そもそも一国のトップの人物は、「花鳥風月」を愛でて自然を愛する国民をリードしていただきたいものである。