はじめに
(3)節でも述べたが右脳と左脳の基本的な概念は、脳の両半球が異なる機能を担当しているというもので、脳の左半球は通常、言語処理や論理的思考などの認知機能に関与し、右半球は空間認識や感情処理などの異なる側面に関与するとされている。これは脳梁部分を切断せざるを得ない手術を受けた患者が、左右の脳半球が相互に通信できなくなったことから、異なる半球は異なる情報を処理し、異なる挙動や機能を示すことが観察されたことから始まった右脳・左脳の研究であるらしい。ただ近年の研究では、左脳と右脳の機能分担がこれほど単純でないことが続々と示唆されているという。ただ、人間の脳機能は元々非常に複雑にできており、左右の半球は必然的に連携して働くことが何よりも必要不可欠であることは真実だろう。このことはあたかも自然と都市の特性をバランスよく使って、人類が進歩、あるいは進化を重ねてきた事実に符合する。要するに物事は対極する特性をバランスよく使った『中庸の道』を柔軟に歩むことが何よりも大切であることには変わりはない。以下二つの「自然と人類の立ち位置」から左脳的社会の浸潤が人類にもたらす影響(それも良し悪しあるが)について、主にマイナスの影響を考えてみたい。
①.「環境問題」のしくみ
まず21世紀の今日、環境問題がクローズアップされてきた原因の一つとして、『右脳的自然と左脳的都市』の中庸が保たれることなく、居心地がいい左脳的都市部分での生活に偏重したことがあげられる。このこと自体は人類がとりわけ物質的な満足感を伴って快適に暮らせるようになったことで、一定の評価が与えられる。しかしながらその裏には、エネルギーの分散に関わる「エントロピーの原則」というのがあって、エネルギーは常により均等に分散する傾向があることを理解しておく必要がある。つまり、エネルギーは高濃度から低濃度への自然な移動がなされるので、人間活動(都市化やGDP拡大のための経済活動など)により大量のエネルギーが使用された結果、エネルギーが大気、水、土壌などに放散され、環境全体に均等に分散されないことが常にあるのである。このことが、温室効果ガスの排出などにつながることを知っておくことが重要である。
このように自然の存在が我々の生活から遠のくほど、逆に環境劣化の問題が生じているという不可思議な原因としてこの「エントロピーの原則」なるものがあって、環境問題の解決には、エネルギーや物質の分散を最小限に抑え、持続可能な方法で資源を利用する必要がある。再生可能エネルギーの活用、リサイクル、持続可能な開発などが、エントロピーの原則に配慮した環境対策のポイントとなることを第一点として指摘しておく。
(温暖化物質の石油大産出国のUAEのドバイで開かれたCOP28では「エネルギー消費と経済的発展の倫理的バランス」と小難しい表現でまとめあげたが、化石燃料の廃止には触れず削減することに努めることに留めた。決議内容の実効性が乏しくなることは否めないが、2023年の時点では、欧米も産油国も化石燃料に頼らざるを得ないのである。「環境問題」という言葉だけが独り歩きしないように筆者は強く求める。オイルマネーで経済的に豊かな国になったUAEの実情が垣間見える)
②.左脳化社会の浸潤
次に第二点目として「左脳化世界の浸潤」が、負の影響として我々人類に働くことを別の角度から指摘しておきたい。つまり左脳化社会の浸潤は、当然人類と自然(=右脳的世界)との関わりが希薄になることを示唆しているが、このことが人類の未来にとって大変懸念されることだといえよう。
そこで、普段は利便性に優れた人工創造物に満ちた都市部にすむ我々が、自然に(土足で入り込むことは極力避けて)適度に、バランスよく接触することで、如何に多くのものを得てきたかを考えることにする。自然から得られるのは、目に見えない『無形資産』である。
自然には世界に二つとない景色が広がる。左脳的な理解では辿り付けないものに満ちている。そこには右脳を働かせて想像(imagine)する大切さが潜んでいるのである。
写真家でアラスカの自然を撮り続けた故.星野道夫氏は、日本の創造物だらけの都会に暮らす十数人の子供たちを極寒のアラスカの地に毎年招待していたと聞くが、その体験は何を子供たちに与えたのであろう。子供たちはきっと想像力を搔き立てて現地人の大自然の中での生活を想像したことだろう。自然の過酷さは勿論、不思議さ‥と、毎日塾に通って受験力を高める教育を受けている子供たちにとっては、普段経験もしたことが無い冨部であるが、言葉に尽くせぬ素晴らしい感覚を味わったことだろう。想像力を持ち続けて自然の怖さを予測しながら暮らすしかないアラスカの部族民たちの死生観にも触れることができただろう。村人が力を合わせて獲った1頭のクジラを全員で分け合って数か月暮らせるそうだ。そのような生活からは、自ずと『自然に感謝と畏敬の念を持って暮らすこと』を生涯の信念として生き抜くことが生まれてくる。我々の先祖であるホモサピエンスは元々そのような想像力を働かせて、無論創造力も発揮しながら、現代まで生き延びてこれたのである。想像力が乏しい左脳的思考に偏重した社会に暮らす21世紀の人類は一体どこへ行くのだろう。利便性に飽きて精神的満足に枯渇した人類の行き先がどこにあるのだろう。宇宙に逃げても、地球の酸素と水に満ちた環境を宇宙服に包んでいくだけである。もっと足元の地球環境に配慮しながら、地球の子の環境に感謝をすべきである。宇宙開発のお金は、地球環境の手入れに使うべきだと思うのだが…
宇宙飛行士が美しく輝く地球を上空から見て、結局人類は「地球の自然に生かさている」生きものに過ぎないことを感じるという。ほかにも人間の左脳的思考力が及ばない圧倒的な自然の中に自分を置く体験を「オウ.Awe体験」というが、そこで人間は、「利他的思いや行動に導かれる」そうだ。左脳的思考の成果物の飛行機に乗りながら、上空からネオンに輝く街の明かりを眺めて地上に降り立つときにも、Awe体験に似た感情をもよおすものである。アラスカに暮らす人たちがもし飛行機に乗ったら落っこちないか心配でならないだろう。不便でもアラスカの地で安心して暮らすことを望むのではないだろうか。要は右脳と左脳の特性をバランスよく使い分けて偏りのない中庸の道を模索しながら、地球環境の保全をこれ以上悪化させないようにすることである。
化石燃料をまき散らして飛行機を利用して移動するすることを“飛び恥”とはうまく言ったものである。
③.想像(imagine)する大切さ(ジョンレノンのイマジンから)
今私は左脳的行為の凶弾に倒れたジョン・レノンの『イマジン.imagine.想像』という曲を思い起こしている。Johnが後世に残したメッセージに耳を傾けている。
この歌詞は幾度も「imagine(想像する)」という言葉が登場する。自然から搔き立てられるあの想像力である。以下はジョンの歌声を僕の感覚で聴いて、おおよそ以下のような意味を含んでいると僕は、それこそ想像する。
人間が「想像する.imagine」ことの大切さを自然から学ぶことと相通じるものが聞こえてくるからである。
- 独自性と創造性の尊重: 世界にはそれぞれ異なる風景があり、それらを理解し、想像することで新しい視点や発見が生まれる。自然の美しさや多様性を想像することは、個々の独自性や創造性をリスペクトすることに繋がる。
- 感謝と保護の意識: 想像力を働かせることで、自然の美しさや大切さを深く理解し、それに対する感謝の気持ちが芽生える。そしてさらに、自然環境を保護し、持続可能な方法で利用する必要性が自然と浮かび上がる。
- 共感とつながり: 想像力は他者の視点を理解し、共感する力を養う助けにもなりものだ。世界中にはさまざまな文化や環境が存在し、70億人の異なった人間が存在する。その違いを想像し尊重することで、より広い視野を持ち、他者とのつながりを深めることができる。
④.自然と人間の立ち位置(まとめ)
本稿の最後に自然と人間との立ち位置について、全体のまとめとして生物学者の福岡伸一氏が朝日新聞に特別寄稿した文章を抜粋してご紹介したい。(2020.6/17朝刊)
彼の主張はまず、『私たちのもっとも近くにある自然とは自分の身体』であると断言する。そしてその理由として、「生命としての身体は、自分自身の所有物に見えて、決してこれを自らの制御下に置くことはできない」ことを挙げる。つまりウイルスに感染することもあれば、個人差はあるが寄る年波には勝てなくなってやがて死んでいくのが自分の身体である。
つまり私たちは、いつ生まれ、どこで病を得、どのように死ぬか、知ることも選(え)り好みすることもできないが、普段、都市の中にいる私たちはすっかりそのことを忘れて、「あーすればこうなる」という計画どおりに、規則正しく、効率よく、予定にしたがって、成果を上げ、どこまでも自らの意志で生きているように思い込んでいるダケである。人間の脳が自分にとって都合がいい、自利的なで考えて、不都合なことは無視しがちである。ここに本来の自然と、脳が作り出した人工物との本質的な対立がある。前者をギリシャ語では“ピュシス”、後者を“ロゴス”と呼ばれている。私なりに対比すると「ピュシスは自然界の法則や物質的な原則を示しており、自然の力や成長に関連したもの、ロゴスは知的で論理的な原理や言葉や理性に焦点を当てている 」
生命はピュシスの中にあって(=人間は自然の一部で)人間以外の生物はみな、約束も契約もせず、自由に、気まぐれに、ただ一回の世界に二つとない“生”を生き、ときが来れば去る。ピュシスとしての生命をロゴスで決定することはできない。人間の生命も同じはずである。
「人間は生きもの、自然の一部である」という至極真っ当な考え方に基づくのが、「機械論的世界観」の対極に位置する「生命論的世界観」である。産業革命以来、人間を機械扱いして自然さえコントロールできると考えた頭デッカチの自惚れ人間が、都市に集まった。ホモサピエンスは、自然の恵みに感謝をすると同時に、自然の恐ろしさに対しても謙虚に畏敬の念を持って暮らしていたはずだ。自然に対する傲慢さが戦争を起こして、今日も一番身近な自然であるヒトの身体を殺傷し続けている。
⑤.人間も樹木も同じ命
樹木をかけがえのない命と捉えるのなら、地方でも都市部でも、同じ命であろう。都市部の樹木だけは守り抜くというのが、SDGs的価値観と照らしあわせて正しい振る舞いなのか。
③.「自然と都市」両者の根底にある世界観
私は
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