ここからは「自然と都市」と題して、産業革命以来400年間に人類が両者の特性を如何に活かし、融合し合い、そして浸潤しながら暮らしてきたかを考えたい。ここでは、自然と正反対の人の意識で創り上げた最たるものとして「都市」を取り上げた。なぜならば、産業革命来続いている「都市化現象」が21世紀の最大課題である「環境問題」の元凶だと私は考えているからである。その一方で、言わずもがなのことであるが、都市化によって、人類は日進月歩の「目に見える物質的・科学技術的進歩」を成し遂げた。ただし、「目に見えない精神的満足価値」を軽んじてきたことに意外と気付いていないことも事実だろう。技術進歩と人類の進化は混同しやすいが別次元の違う話である。そのことは後に詳述するが、『自然は感覚で感じ、都市は意識で成り立っている』ともいえる話である。
脳科学者の養老は、人間の意思(=意図=脳活動)で「あーすればこうなる世界」を『脳化社会』と呼んだ。脳化社会の代表格が都市である。意図で変えられない世界が自然である。
まずは下記の「自然と都市の特性比較」をご覧いただきたい。
そもそも、自然と都市の特性を一元論的に述べることができない複雑且つ変化する要素が絡んでいるので、私の特性分析は、あくまでも“一般的傾向”としての言葉であることをご理解を賜りたい。
そのうえで最上段に記した総論として、『自然は右脳的、都市は左脳的』だといえる。(3)節で詳しく述べるが、実際に右脳・左脳が別々に働いているわけではないので、ここでは“的”と表現した。さらに視点を13の項目に拡げて両者の特性を比較対象した。各論として(4)節で概説する。
養老孟司は、人間の意識(=脳活動)で「あーすればこうなる」として作り上げた世界を「脳化社会」と表現したが、脳化社会の代表格がヒトが創り上げた「都市」ということになる。さらに
『ヒトの歴史は、感覚で感じる自然の世界に対する、意識が働く脳の世界の“浸潤”の歴史だった。それを我々は“進歩”と呼んだのである』(要約)とも述べているが、彼の主張には大いなるヒントが潜む。ここまで来たら「AI」はじめ、進歩はあらゆる領域に及び、地上はあまねく“脳化社会”と化すことだろう。このような脳化世界(都市化)が自然界を浸潤し尽くした先に一体何があるというのだろう。自然は人間の意識でコントロールできないのに、コントロールしようとするのは人間の頭でっかちな「自惚れ」(big-head)に過ぎないことを知るべきである。
人間は自然の一部の生きものに過ぎない。一番身近な自然は自分の身体であることを改めて思う。宇宙旅行は宇宙服を纏って地球の環境を月に持っていっているだけである。月の表面にそのまま降り立ったら一発アウトである。人間の自然に対する傲慢な考え方や態度によって、今ブーメランの如く「地球規模の環境問題」として跳ね返ってきたことを知るべきだろう。環境問題が喫緊の課題として表面化する一方で、人間も含む環境破壊の最たる愚行である「戦争」を繰り返している人間であることを今一度立ち止まって考え直したい。(5)節で「人間と自然の立ち位置」に関して述べることにする。

これら13の視点からみた「自然と都市の特性」を踏まえて、約400年間効率的且つ利便性が高い都市化傾向に慣らされた我々人類が、21世紀になって自業自得的に「地球沸騰化」(環境問題)を招いた現実から目を逸らしてはならない。21世紀、これからの「自然に対する人類の立ち位置」を中心テーマにして、自然と都市の特性を、総論と13の視点からまず述べることにする。