私の自然観

はじめに

2024年2月5日(月)~2月9日(金)北海道に行ってきた。「札幌雪祭り」に合わせての4泊5日だったが、人工祭典の雪祭りより、主目的は人知が及ばないオホーツク海から紋別港に押し迫ってきている「流氷体感」である。去年の札幌雪祭りの時期には流氷は見られなかったそうだ。地元の食堂の女将さんから「お客さんはラッキーだ」と言われた。暖冬というより地球が温暖化している状況からして自然現象の流氷が来年果たしてみられるかどうかわからない。
何しろ流氷は冬いつでもどこでも見れるわけではなく、日本では北海道でのみ、それも見られる確率が高いとされているのは「紋別」「網走」「知床」の三か所、その日の風向きによっても、見れなくなってしまうことがある「自然現象」なのだ。人間の管理下における代物ではない。流氷に会うために、札幌のホテルを早朝6時に出発して、往復10時間の雪道高速を飛ばしてススキののホテルに戻ってきたのは夜8時過ぎだった。とまれ紋別までやってきて砕氷船のガリンコⅢ号に乗り人知の及ばない流氷に巡り合えたのは75歳にして実に貴重な体験をすることができた。観光というより「自然と人間の立ち位置」に関して座学ではなく、自分の五感を駆使した実体験を通して情報インプットして脳にたたき込むことができたことは、余命の暮らし方にも実に学ぶところが多かった。その一端を「ソフィアの昼休み」に寄稿させていただく。
そもそも北海道の冬の風物詩「流氷」は、世界的にもごく限られた地域だけの自然現象で、日本ではオホーツク海沿岸でしか見ることができないそうだ。なにしろ高校まで南国長崎で育った僕は雪は大の苦手、効率的且つ快適な都市生活に飼い慣らされて、自然から完全に遊離したなまくら人間になってしまった。スキーもスケートもしたことが無い、要するに雪や氷は真から怖いので地球が氷河時代下では真っ先に死んでしまうだろう。
出発前夜、知床半島羅臼町沖の根室海峡で、10頭余のシャチが押し寄せて来た流氷に挟まれ身動きができなくなったいうニュースを札幌のホテルで知った。また2年前の4月に知床半島斜里町沖で発生した海難事故が頭を過ぎった。オホーツク海の流氷と船底1枚隔てた流氷観光船「ガリンコ号Ⅲ. IMERU(イメル:アイヌ語で“光”)」乗船記からことは始まるところだが、本稿では大自然現象を目前にした時に、人間が如何に無力な存在であるかを痛いほど味わった僕にとっては紋別の港に戻るまでが実に永い1時間であった。
要するに、文明の利器たる「ガリンコ号」で無事1時間の流氷観光をしたに過ぎないわけだが、根本的には「人間と自然の立ち位置」というテーマに関しては、今回色々な思いに捕らわれたので以下に綴ってみたい。
なお冒頭のビデオは2024年2月7日紋別港発の砕氷船ガリンコ号Ⅲの右舷から撮ったものだが、実は船尾と船首から撮ったより大自然の迫力に満ちた映像がある。しかし満席の当日は観光客(春節の時期で東アジア圏の人が多かった)の姿が随所に入っており、本ブログにアップロードすることに憚られた。都市に住んでいたら味わえない流氷観光は自然現象が故の危険が伴うことを承知で読者の皆さんも一度体験されたら如何だろうか。