World Cup.カタール2022

① はじめにーサッカーは90分の連続格闘技―

ワールドカップ・サッカーをテレビ中継で観まくった。同時中継される日本時間はといえば幽霊が出てくる“丑三つ時”だったが、どの試合も内容が濃くサッカーの醍醐味を存分に味わえる接戦続きだった。日本が目標としていたベスト8チームによる4試合は何れも1点差あるいは延長後のPK戦で勝敗を決するというものであった。
サッカーは道具を一切使わず、90分以上人間の脚力(走るスピードと蹴る力)だけで一つのボールを奪い合う格闘技スポーツだ。観戦する我々も一瞬にして状況が変わる格闘技から目を離せない。試合後の場外乱闘(フーリガン)は決していただけないが、サッカーが選手のみならず応援団も巻き込んだ血肉騒ぐスポーツであることの表れだろう。特に南米・アフリカ(歴史/経済的には後開発国で全てに伸びしろが大きい)国々の熱狂ぶりは凄まじい。まるでサッカーの勝敗が自分たちの生活そのものが懸かっている雰囲気だ。例えば一試合(優勝したアルゼンチン対オランダ戦)に14枚(冷静であるべき監督コーチを含めると+2枚の計16枚)もの警告カードが切られた。大会全体でも大会史上最多の223枚のイエローカードが出されたと聞く。その一方で全64試合の中で警告カードが1枚も出されなかった試合が2つだけあった。それは「日本対ドイツ、イングランド対アメリカ」で国名からチームのカラーも窺うことができる。日本は選手のみならず応援団のマナーの良さが世界N0-1であることを誇りに思う。しかしながら勝負に負けたらどうしようもない。決められたルールを必死で守りぬいて闘うのはいかにも日本人の国民性を表して勝利のためには違反も辞さない国々とは一線を画しているといえよう。尤も血の気が多い格闘技スポーツとはいえ、イエローカード自体は自チームを不利な状態に導くことが多いから基本的にはカードをなるべく食らわないように冷静さを忘れないでプレーするのがクレバーなサッカーチームといえる。
(私見)
ヨーロッパとその植民地だった南米(ブラジル・アルゼンチン…)においては、歴史的に「ずる賢さ」を正義とする国々が多い。一方生き物と格闘する狩猟にはサッカーにも通じる「ずる賢さ」が求められる。米作り文化の日本人のスポーツ・メンタリティーには寧ろ「ずる賢さ」を嫌悪する伝統があるといえる。ベスト8への道程には「ずる賢いサッカー技術」も不可欠かもしれない。

② 対置される“野球”

ところでサッカーと対置されるスポーツとして「野球」がある。1対1の格闘技のサッカーと違って、走攻守にわたって9人全員の力を出し合いながら(最低でも)9回の攻防を繰り返して勝敗を決するものである。野球場ではビールを片手にゆったり観戦する姿も多く見かけられる。つまり野球は意図的ならずとも“間”の入り方で戦局が入れ替わることがよくあるスポーツである。その場では気付かないが、試合後のビデオで観なおすとその“間”が結構勝負の分かれ目になって逆転の下地になっていたことが分かる。要するに野球に限らず日本の伝統的なスポーツ(例えば相撲の仕切り、剣道の隙…)や伝統文化(茶道、能…)の裏側には中々奥深い“間”というものが常に存在することに気付く。この“間”は猪突猛進型の格闘技スポーツのサッカーには端からないものである。(なお間を入れるというよりも監督の選手交代采配が効を奏したのが対ドイツ、スペイン戦の勝利といえそうだ)。
筆者は野球の勝利への道程と農耕民族が間を取りながら“1年がかりの米作り過程”との間に重なる部分があることを強く感じる。逆にサッカーの勝利には狩猟民族の“格闘技的先手必勝策”を強く感じるのである。

③ サッカー選手の「体・心・技」

(1)身体

ここまでスポーツに先ず求められる身体能力(体力はじめ脚力・視力・空間察知力…)について考えた時に、『定住型の農耕民族より瞬発勝負型の狩猟民族の顕性遺伝子』が格闘技のサッカーには向いていることを縷々述べた。つまり筆者は一つのボールを巡る1対1の格闘技であるサッカーにおいては、この種の遺伝子的要素(=身体の瞬発作動能力や体格)の差が勝負に大きく影響しているように思えてならない。米作り主体のアジア諸国の中ではNo-1の日本サッカーであるが、ワールドカップにおけるベスト8進出のカギを握るのは槍をもって野山を駆け巡る狩猟民族の脚力スピード即ち“身体能力差”が大きく立ちはだかっていることを先ず謙虚に受け止めることから始まる。つまり野球界における王、イチロー、大谷翔平レベルの選手がサッカー界に出現するかと問われればどうしても否定的にならざるを得ないのである。古くはペレ・マラドーナ、近年のメッシ(年収155億円?)・ロナウド・ネイマール・エンペバ・・…枚挙に暇がないが、彼らの身体能力にはただただ驚くしかなかった。
しかしサッカーはゴールキーパーを含む11人全体のチーム総合力で勝敗を競うのである。第2次リーグ(ベスト16) を勝ち抜くことを当面の日本チームの目標とするのは実現性とともに多少チャレンジングな目標としてピタリの目標設定だと思う。ただアフリカ勢はじめサッカー後進国の急成長ぶりが大きく立ちはだかる。
最後に申し上げたいことは、徒に「ベスト8が近い!」と叫び続けるマスコミ報道は視聴率狙いの一面があることを国民は冷静に理解の上このような報道に流されてはならない。現実はもっと厳しいのであって、ベスト8入りの自惚れがあったら足元をすくわれる。チームが勝利できることが“確信”に変わるまで向こう4年間国際テストマッチを数多く積むことが必要不可欠だ。

(2)精神力

次にサッカープレイに求められる“心(精神力)”についてである。今回の大会で私が目を見張ったのはアフリカ勢の一つ“モロッコ王国”である。決勝トーナメント1回戦でスペイン(かっての盟主国)、準々決勝でポルトガル(こちらは王者ブラジルの盟主国)というヨーロッパ・サッカー界の名門の2国を連覇した。その結果アフリカ勢で史上初のベスト4入りを果たした国がモロッコ王国である。国民が毎日目にする紙・貨幣にその肖像が使用されて国民の崇敬を集めるムハンマド6世の一声の元、ロイヤル・エア・モロッコは準決勝に向けて特別便を30便運航したと聞く。(そのクレイジーな応援ぶりは健康被害をもたらすほど五月蠅い騒音をまき散らした)。日本チームにはこのような愛国主義(patriotism)的精神支柱がないことが気に掛かる。社会環境的にサッカー後進国の強さの裏には正に国を背負って自分の生活を懸けて格闘技たるサッカーの試合に臨むことがある。モロッコは残念ながらフランスに勝つまでには至らなかったが4年後2026年の北米大会ではかっての盟主国フランス打倒という目標が選手たちの心に強く刻まれたことであろう。要するにサッカーの勝敗の裏には“愛国主義”的プレーがうごめきそれが強いチームは実力以上のものが本番で出るものである。
このように格闘技サッカーを闘ううえで強い精神的拠り所が存在するチームは勝負を最後まであきらめない。日本選手にそのような“精神的支柱”は無かったとは決して言わないが、国の歴史的・経済的背景/様式にまで及んだものと比較すれば、一国のマスコミの盛り上げ(それも視聴率アップ)程度の日本だとしたら如何なものだろう。それにつけても今回の1次リーグ首位突破の成績を拠り所にしてのベスト8に進出する自信(=自惚れ:big head)が実は一番怖い。真の実力をつけて勝利の確信に変わるまで努力研鑽を積むことである。心技体の“心”の部分は精神的動機が愛国心のようにハングリーな状態なほど強くなることは真実である。 “ベスト8実現”の精神的ハングリーを維持し続けることが大切である。
何しろサッカーは民族的高揚を自ずとかき立てる格闘球技である。なぜなら、例えばラグビーは外国人でも3年間日本に住み続ければ日本代表選手になれるのだが、サッカーは国籍・市民権を有する必然性があることを重要視している。サッカーの試合が選手/応援ともに熱くなるのも当然のことである。

(3)技

米作り農耕民族の日本人がDNA先天的な“身体運動能力”や、“ハングリーな精神力”に恵まれていない現実を認めざるを得ないが、日本人の自助努力つまり後天的に得られるのが“技術”の部分ではないだろうか。例えばドリブル技術(≒ボールを維持する力)やパス回し精度は後天的に練習によってその技術を向上させることが出来るはずだ。基本的には先天的な身体を動かすという能力で競うのがスポーツ競技であるが、技術力は後天的に獲得することが十分に可能である。世界のホームラン王ソフトバンク会長も弛まぬ努力によって一本足の打法技術を身につけパワー不足という日本人の身体的劣勢を補ってホームランの世界記録を打ち立てた。その他いろいろなスポーツにおいても日本人の身体能力的ハンディーを乗り越える技術力を自助努力で獲得したプレーヤーが多士済々おられる。
ここで特記すべきことは、技術力の向上のためには他国の才能に恵まれた選手やチームで一緒にプレーして自分に無い技術獲得のヒントを得ながら自己研鑽に努めることの重要性である。その根拠は『人間は習慣の生き物である(習慣がすべて)』(J.デューイ)の言葉の重みにある。つまり選手は自分より強いチームで毎日(=習慣的に)プレー/練習をすれば自ずと上のレベルの実力が付いてくるものである。自分に無い技術を盗んだり真似をしながら自分の特徴も生かしながら鍛錬し続ける。日本人それも若い人を中心に海外の高度のチームでプレーする機会を本人も協会も真剣に探すことである。高校卒業と同時に海外のチームでプレーするという恵まれた機会を得た選手もいると聞くが、言葉や食事などの壁を乗り越えて日本人離れした技術を身につけてほしい。4年後の彼らに大いに期待するところである。「鉄は熱いうちに打て」である。それには海外選手をリスペクトする気持ちを常に忘れないで自分に無いものを日々習慣的に取り入れてほしい。「ずる賢さ」も海外でプレーすることで身に着くものだ。海外でプレーするうえで選手は経済的厚遇を求めがちだが、外国選手に交じってプレーするのは日本人の身体的特徴を補うモノ(技術)を獲得するという謙虚な気持ちになって精進することに尽きる。日本人選手にとって身体能力を技術力で補うことが出来れば、狩猟民族に無い特徴のある国際的名選手になることも決して夢でない。
技術に関して筆者は12番目の選手である“監督”に関してある拘りを持っている。なぜならばヨーロッパの強豪ドイツ・スペインを破り堂々の1次リーグ首位突破を果たしたのは森安監督の選手交代策が的中したからだと思うからである。つまり後半中盤まで1点差で負けていたチームを救ったのは、ドリブル突破が持ち味の三笘薫選手と攻撃的な浅野・堂安を起用したことが逆転に結びついたからである。まさにサッカーは監督も含めた12人で戦うゲームだなと思う。海外の強豪国に在籍して研鑽を積んだ日本人選手を最終的に起用するのは監督である。私は日本人選手一人一人のことを一番知っている日本人こそがナショナルチームの監督に求められる最高の資質だと考えている。今回初めて本番までの4年間を1人の監督で通した。途中実績を残せない苦しい時期もあったが1人の監督に全権委任した結果が1次リーグで見事に花開いたといえよう。海外から招いた有名な監督を監督に据えてもその効果は発揮できないだろう。監督と選手のコミュニケーションがよくとれていたのである。(森脇監督と吉田キャプテンが同郷だったことを知っていたが多分お互いが通じある共通言語は“長崎弁”だったかもしれない)。監督は選手の表情からその日の心身の状態を推し量れる技術を持っている。次の4年間も国民は12番目の選手として森脇監督に全権を託す。ベスト8進出の大きな力になるはずだ。